「だるまちゃん」シリーズなどで知られる絵本作家・かこさとしさん(1926―2018)が約70年間描きためた童話集「かこさとし童話集」(偕成社)10巻が18日に刊行された。長きに渡り全国の子どもを楽しませ続けたかこさん。公私ともに身近で支え続けた長女・鈴木万里さん(66)に、父としての素顔を聞いた。
若き日の経験
かこさんは東京大学の演劇研究会に所属していた1948年、自作の童話劇「夜の小人」を上演。その時観客の小学生が、予想とは異なる場面で笑い、怖がる様子を見て「自分は何もわかっていない」と感じたという。当初は就職後に活動する予定ではなかったが、この経験が「子どもの感性と向き合う転機になったのではないか」と万里さんは説明する。「子どものために尽くすのは、父にとっては生涯を通じて全うした固い決意だった」と振り返る。
大学を卒業後、昭和電工(現(株)レゾナック・ホールディングス)に研究員として入社。川崎市幸区に居を構え、蒲田の職場まで徒歩で通勤した。休日は川崎でセツルメント活動に従事し、子ども会のために数多くの作品を制作・発表した。
父として
川崎時代のかこさんは、会社員としての仕事と活動を両立させるためいつも定時に退勤。帰宅後はいつも家族で夕食をとり、夜に子どもたちが寝静まった後、作品の制作に取り組んだという。休日に一緒に遊んだ記憶はないが、「紙芝居を読んでくれたり、相談に乗ってくれたからさみしくはなかった」と生前の父との思いを語る。
幼少期の万里さんにとってかこさんは「物知りで、聞けば何でも答えてくれる父」。子ども扱いはせず、誰とでも一人の人間として接した。
万里さんが学校のテストで納得がいかない解答を受け取ったときのことだ。相談を持ち掛けると「そういう風に考えているなら、それでよろしい」と返された。答えありきではなくどう考えたか。多くの名作を生んだ作家の矜持がにじむ。
童話集への思い
藤沢に転居し、73年に昭和電工を退職後も、変わらず自宅の書斎で黙々と制作を行った。
かこさんが描いた246作品を万里さんが5年かけて編集したのが「かこさとし童話集」だ。「中には児童向けではない作品もある。読んですぐに分からなくても、分かるときになったらまた読み返してほしい」。読者の感性に寄り添う父娘の姿が重なった。
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