江の島への道標 世田谷に 県外で見つかるのは初
東京都世田谷区玉川で発見された石碑が、江の島への道標として1689(元禄2)年に建てられた「江の島道標」であることがこのほど確認された。藤沢市生涯学習課は2日、この調査内容を紹介、江の島道標が県外で発見されるのは初めてのこと。
江の島道標は、江の島弁財天を厚く信仰した杉山検(けん)校(ぎょう)(〜1694・本名は和一)が、江島神社に参詣する人々の道しるべとして建てたものと伝えられている。
48基あったとされているが、消滅したり動かされたりしたものが多く、これまで11基が確認されており、その全てが藤沢市指定文化財に認定されている。いずれも、ほぼ同じ大きさ形で、前面に「ゑのしま道」、横面に「一切衆生(いっさいしゅじょう)」「二世(にせい)安楽(あんらく)」と刻まれているのが特徴だ。
世田谷で発見された道標は、元藤沢市職員が4年ほど前に発見。その後調査をし、大きさ形が藤沢市内で発見されたものとほぼ同じで、書面も刻まれていていたことから、江の島道標に間違いないとされた。
なぜ世田谷に
報告を行った同課博物館担当の荒井秀規さんは「なぜ世田谷にあるのか、その理由はまだわからない」と話している。
発見された場所は、2棟のマンションの狭間の遊歩道脇。荒井さんによると、その敷地一帯は昔、骨董店・本山幽篁堂の店主である本山豊実氏が、茶室・庭園を整備した場所だということ、その後1962年には、吉田五十八(いそや)氏と飯田十基(じゅうき)氏により新たな庭園が整備され、迎賓館なども建てられたことが分かっている。
1965年に撮影された写真にはすでに道標が写っていることから、「幽篁堂庭園かその後の庭園整備の際に、庭に飾るオブジェとして江の島道標が用いられたのではないか」と荒井さんは推測している。
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