「パラリンピックでしか味わえない興奮がある。挑戦して心から良かった」と話すのは、2008年北京パラ大会自転車競技で金・銀・銅全てのメダルを獲得した石井雅史さん(48)。現在選手活動の傍ら、藤沢市みらい創造財団の非常勤職員として働く。「諦めずに済んだのは、周りの支援あってこそ。正直、障害者が選手として活動し続けるのは難しい。スポーツを始められること自体が『運が良い』くらい」と打ち明ける。
競輪選手として活躍していた石井さん。2001年、練習中の事故で、言語・記憶障害や左足の麻痺などを負った。世界大会に手が届く直前の事故で、懸命にリハビリに挑むも、第一線への復帰は絶望的に。一度は心が折れかけたが、「それでも競技を続けたい」。そんなとき、周囲から提案されえたのが、パラサイクルへの転向だった。
石井さんが主に取り組むのは「Cクラス」と呼ばれる、機能障害や麻痺のある障害者が対象のクラス。使うのは通常の二輪自転車でこそあれリハビリに耐え、今一度世界を目指すには並大抵ではない努力が必要だったが、「また挑戦できる」という喜びが勝った。
一方で別の壁にもぶつかった。競技と生活を両立させる難しさだ。「パラスポーツは大会が少なく、競技の知名度も低い。実力に関係なく、競技だけで生計を立てるのは困難」と説明する。
石井さんは北京パラリンピックに出場した翌年から同財団の申し出で非常勤職員として勤務。障害者スポーツの啓発活動など広報活動を担当している。
障害者の雇用先不足や収入の低さという社会的課題がある中、大会出場などの際には練習や調整のサポートを受けており、「私は人との出会いに恵まれた」としみじみ語る。
一方、02年からローリングバレーのふれあい交流会など、障害者スポーツの支援に取り組む同財団。石井さんには「当事者ならではの発信力と説得力」を期待する。共に障害者スポーツを担当する柳澤洋介さん(53)は「障害者の方へ『あきらめないことの価値』を伝える時、私(健常者)と石井さんでは言葉の重さが違う」と話す。
「諦めないで続けるためには、諦めさせない環境が大切。改善するためには、まず障害者の状況を知ってもらうこと。支援の輪を広げていくことが私たちの目標」と2人は声を揃えた。
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