記者として、在住、出身地の確認は取材の基本。ある時、こんな返答があった。「西浜出身です」。しかし、インターネットで検索しても詳細が出てこない。海岸や公園の名称に使われているが、その方の出身は結局、片瀬海岸だった。別の日、またも「西浜在住」という人に遭遇。ところで、西浜ってどこなんですか?
質問をぶつけたのは、片瀬こま保存会の杉下由輝さん(49)。「西浜は片瀬の一地域」という確認とともに、片瀬地区では住所表記と異なる地域の呼び方がほかにもあることが分かった。市外から越してきた杉下さんも「当初は戸惑いました」と頭をかく。
日常的に使われているのは「新屋敷(あらやしき)・西浜・西方・下之谷・東(とお)り町(ちょう)」で全体を「五町」と括る。地元の商店主や昔から代々住む人たちでは一般的な呼び方で、町内会の一部でも名称として残る。
「それは『字(あざ)』だね」と教えてくれたのは片瀬在住で、藤沢地名の会の吉澤忠雄さん(82)。字は、地域の小区画単位の名前で、古くは平安期から続く地名も。地形や寺社仏閣の歴史、市場などの用途、居を構える名士など、地域の暮らしの中で生まれた「通称」が由来となっていることが多いという。
1962年の「住所表示に関する法律」の施行による「丁目・番地」表記の中で多くが失われてしまった中「日常的に使い続けている地区はまれかも」と吉澤さん。「郷土愛の成せる技」と笑う。
片瀬地区の諏訪神社の例大祭では、五町の名が書かれた提灯を山車に吊るすなど「五町」と切っても切り離せない関係だという。同神社の宮司を兼務する江島神社の相原圀彦宮司(75)によると、例大祭自体は奈良・平安期から続くが地域の表記の資料は残っていない。
五町の由来について「一説を昔地元の先輩方から聞いた」と話すのは、「生粋の片瀬っ子」という江島神社神職の杉本直大さん(53)。「新屋敷は、鎌倉の豪族が家を建てた場所」「西方は、鎌倉幕府・八幡宮から見て西」「西浜は、江の島の西の浜」「下之谷は、谷戸の地形と龍口寺との位置」「東り町は、とおり(通り)と龍口寺との位置」。「『片瀬一丁目』より『新屋敷』の方が、自分たちの町という気持ちがこもる。郷土愛と共に受け継いでいきたい」と力を込めた。
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