藤沢市立鵠沼小学校(本鵠沼5丁目・亀本淳夫校長)が今年で創立150周年を迎え、18日、同校体育館で記念式典が開かれた。学校が主催し150周年記念行事実行委員会(柴山弥生委員長)を中心に挙行した。卒業生や地域のボランティアらなど、来賓約70人が列席。在校生による歌やダンスが発表され、にぎやかに学校の節目を祝った。
同校は1872(明治5)年7月、近隣にある普門寺に「鵠沼学舎」の名称で創立。同年に国から学制が交付され、教育制度がスタートしたのと同時期に開校した。
現在934人が通い、これまで1万226人の卒業生を輩出している。
記念式典では、開会式に先立ち亀本校長が「大切に育て守ってもらった鵠沼小を同じように未来につなげていきたい」とあいさつ。1年生による校歌斉唱を皮切りに、学年ごとに合唱やソーラン節、エイサーの演技などを披露した。
新型コロナウイルス感染対策のため、代表の児童数十人が体育館で発表し、事前に撮影した動画を放映。児童らは周囲と息を合わせて堂々と発表し、来賓席からは大きな拍手が送られた。
同校には通学時に児童を見守るスクールガードリーダーや父親らで組織される防犯ボランティア団体「鵠沼おやじパトロール隊」など多くのボランティアが携わる。柴山さんは「地域の人に見守られて、のびのびと育ててもらっている。これからも元気に育ってほしい」と話した。
当日、体育館には校舎と地域の移り変わりや過去の学校生活を写した写真も展示。卒業生の70代男性は「在校当時は2クラスしかなく、クラス対抗でドッジボールをした」と写真を見て懐かしんでいた。
激動の時代に
鵠沼郷土資料展示室などによると、同校は1923年の関東大震災で校舎が倒壊し復旧に2年がかかった。国語や算数などの一般教科のほかに勤労教育がなされた時代で、女子は「良き家庭婦人」としての育成が求められ、裁縫の授業を受けていたという。
戦争の影響で、満州事変を機に軍国化が急速に進行。当時は農村部だったため疎開児童を受け入れ、戦争末期の45年度の児童数は1321人でピークに達したと言われている。47年、6・3制の新学制がスタートし、現在の校名になった。
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