下土棚の夏苅東(なつかりひがし)遺跡から弥生時代の竪穴住居跡や古墳時代の古墳が発見され、先月26日に一般見学会が行われた。発見は藤沢市内では23年ぶりで、発掘調査で見つかったものとしては市内最古と推定される古墳時代の鉄製農具が出土。当時としては高度な製造技術が用いられており、市担当者は「資料の少ない市北部の古代史、相模国のルーツを探る貴重な手がかり」と期待を寄せる。
調査が行われたのは、夏苅交差点近く、下土棚1687周辺の約1058平方メートル。土地区画整理事業に伴い、9月28日から発掘調査が行われていた。
市郷土歴史課によると、市内での古墳発見は1999年に見つかった川名原・市場遺跡以来23年ぶり、7例目の発見。長後地区では代官山遺跡に続く2例目となる。
鉄製の農具は鋤(すき)か鍬(くわ)の先とみられ、古墳周辺の溝から発見。当時の日本は製鉄技術が進んでおらず、貴重品だったことから農具よりも献上品としての色合いが強かったと考えられる。関東地方でも完全品としての出土例は少なく、市内では若尾山古墳(現・市役所周辺)からも古墳時代のものとみられる農具が見つかっている。市郷土歴史課は「この品を持てるだけの力のある為政者が当時の下土棚にいた可能性を示す貴重な発見。当時の関東の勢力図の研究に繋がるのでは」と期待する。
現場は引地川近くの丘陵地の高台で、開発前は住宅があり、周囲は竹林などの緑地が広がる。古くから住環境として恵まれており、交差点を挟んで北の地区からも今回の遺跡に繋がる道路の溝の遺構が発掘されている。
今回の発掘では、古墳中期から後期と推定される円型古墳のほか、中世の地下室、弥生後期から古墳前期初頭の竪穴住居跡からなる集落跡などが見つかった。
円形古墳は直径約15mと11mの2基で、周囲を巡る溝のみが発見。鉄製農具は11mの古墳から見つかったが、埋葬施設や墳丘などは出土せず、すでに失われたものと推測されるという。
集落跡は調査区内では10軒発見され、周辺にさらに居住域が広がると推定される。住居跡からは弥生時代に食料の保存や調理などに使われたと考えられる壺やかめ、鉢などの土器が出土した。
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