藤沢市南東部の旧東海道沿いに位置し、横浜市戸塚区と隣接する「大鋸(だいぎり)」。「鋸」は訓読み一字でノコギリと読む。
地名に「鋸」の字が入るのは他地域にもあるが、「ぎり」と読む例は全国でも珍しい。
地名を通じて郷土史の研究をしている「藤沢地名の会」の佐々木道雄さんによると、大鋸は中世から材木を切る際に使用された「大鋸(おが)」と呼ばれるノコギリを起源とする説が有力という。実際、鎌倉時代から続く藤澤諏訪神社には当時使われていた大鋸が保管されており、禰宜(ねぎ)の諏訪健一郎さんは「鎌倉幕府三代将軍の源実朝が中国に渡ろうとした際、船の材料としてこの地域の木が使われたという説がある」と説明する。
この造船計画に関わり、数百年間藤沢でノコギリ職人「大鋸引(おがび)き」たちを率いたのが、森家という一族だ。
「藤沢市史 4巻」によると、森家の当主の名前が登場するのは実朝の時代から約300年後の室町時代。関東を支配した鎌倉公方に仕えた。そして戦国時代になると、小田原城主の後北条氏に家臣として仕えた。
後北条氏からの信任を受けた森家は職人として小田原城や玉縄城の普請を担当したほか、藤沢の触口役(しょくこうやく)(命令伝達係)としても活躍した。各宿場を馬で行き来し交通や物流を司った伝馬役に森家が任命されたという説もある。大鋸引きは、のちに藤沢が東海道の宿場町として発展する経済基盤を作ったとも言える。
森家の子孫・森貞夫さん(76)は現在も大鋸に住む。「昔から一族の話を聞いて育ったので、自分としては当たり前のこと」と話す。先祖代々が住み、生まれ育ったこの地に愛着があるといい、「時代の流れとともに歴史の痕跡も減っていくが、大事な文書や史料は市に保管してもらっている。志ある人が歴史を受け継いでくれれば」と語った。
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