藤沢市と鎌倉市の境に位置する「片瀬」は、古くは「固瀬」や「肩瀬」とも表記された。市が刊行する「身近な川と水辺 藤沢の自然6」には、島陰で力の弱い波が引く頃に、次の波が来ることを「片瀬波」と呼ぶことから名付けられたという説が紹介されている。
市内南部の他地域と比べ、高低差のある片瀬。県立生命の星・地球博物館(小田原市)の西澤文勝学芸員は、「地形の凹凸は、約300万年前に堆積し三浦半島北部から連なる『池子層』が関連している」と説明する。池子層はフィリピン海プレートが本州と衝突し生まれた地層で、片瀬の隆起する地形を形成した。
地形の凹凸は、池子層から採れる「池子石」の採石が関係しているとの見方もある。池子石は逗子などで大正時代まで採石されていたことで知られる。同館の山下浩之学芸員は「片瀬でも、地域住民が利活用するための採石が行われていたのではないか」と分析する。
片瀬の地形と関わりがある伝説は、江の島の由来を描いた「江島縁起」の五頭龍伝説が有名だ。この地に住み着き、悪事を働いていた五つの頭を持つ龍が、552年に舞い降りた弁財天に戒められ改心。周辺を守るために体を山と化し、口の部分が「龍口(たつのくち)」、現在は龍口寺などが建つ片瀬3丁目だとされている。
五頭龍を祭神とする神社で、鎌倉市腰越にある龍口明神社は、元は龍口寺の隣にあった。現在の地は龍の胴にあたるとされる。権禰宜・岡田匡大さんは「どの山が五つの頭なのかはわからないが、小さな頃からこの辺りの地形を龍に見立てていた」と話す。
地名から伝説と地形との関わりがわかる。腰越地域の大字「津」は津波から取られたとされ、それを防ぐ役割を片瀬や龍口の山々が担ったとされる。「龍が地名になっているのは、地域の人々に浸透していた証拠。次世代に伝えていきたい」と岡田さんは語る。
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