藤沢市北部に位置する「葛原」は御所見地区に含まれる。同地区社会福祉協議会が発行した「御所見の昔今」には、「用田で用足して、葛原でくずかいて、菖蒲沢でしょって…」という、地名にちなんだ言葉遊びが紹介されている。
地名の由来になったとされるのが桓武天皇の子・葛原(かずらわら)親王だ。平将門や平清盛の一族「桓武平氏」の祖として知られ、関東に下向した際に「垂木御所(たるきのごしょ)」を建てて住んだという、「御所見」の由来にもつながる伝承が残っている。
「この地にある皇子大神(おうじおおかみ)は、平安時代に平忠望(ただもち)が、親王を奉祀したのが始まりとされる」と、同神社の総代・矢部茂さん(74)は話す。忠望は、江戸時代に周辺地域を治めた旗本・長田(おさだ)氏の祖とされるが、桓武平氏とのつながりは文献では確認されず、創作という説が市文書館発行の「歴史をひもとく藤沢の資料」に記載されている。葛原の名前が最初に登場するのは室町時代以降に成立した「永享記」であり、忠望の時代からは400年ほどが経っている。
忠望が開基とされる乗福寺は、15世紀までは宗派もわかっていない。「一方で、南北朝時代から室町時代にかけての寺の史跡も確認されている」と、垂木御所の跡地を管理する小林登美子さん(76)はいう。「葛原といえば皇子大神と乗福寺。地域では伝承とともに今も親しまれている」
由来として挙げられるもう一つが、クズが生い茂っていたのではないかという説だ。小林さんは「クズの花は見たことがないが、ツルで覆われた土地は見たことがある」と振り返る。クズと市の花であるフジはツルがもつれる姿が語源の「葛藤」という言葉もあるように同じ木本性ツル植物としての関係も深く、「藤沢」という地名にも関係するかもしれない。
矢部さんは「地域の伝承はこれからもみんなで守っていく」と語った。
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