第94回全国高校野球選手権神奈川大会の始球式の投手を務める 堀江 幹夫さん 甲子園出場経験をもつ当時の藤沢商業(現・藤沢翔陵)エース 56歳
あの夏の思い出を胸に
○…現役時代は183cmの長身から投げ下ろす速球と鋭い変化球を武器に活躍。ストレートの球威もさることながら「カーブには自信がありました。まともに打たれたことはないんじゃないかな」とマウンドでの勝負の日々を懐かしむ。高校卒業後は日本鋼管(現・JFEスチール)野球部の主力投手として12年間プレー。都市対抗野球大会優勝など多くのタイトルを手にした。現役引退後は同社で仕事に専念。現在は関連企業の(株)谷テックで営業課長を務める。
○…1973年の第55回全国高校野球神奈川大会は、春の選抜大会全国優勝の横浜高校が大本命。藤沢商業の快進撃は「無欲の勝利」と評されたが「実は大会前に高熱を出してしまって。『エースがこの調子じゃ先を見る余裕はない』とチームが開き直ったのが良かったのかも」。熱が下がった後も投球の調子は戻らず苦戦を強いられたが、1点差や延長再試合などの激戦をチーム一丸で勝ち抜いた。「準決勝からはようやく腕が振れるようになった。勝つごとに成長するチームでした」
○…「面白いもので、野球は勝ちを意識するとダメなんですね」と振り返るのは、甲子園2回戦の盛岡三(岩手)との戦い。「初回にウチの一番打者が右中間に完璧な三塁打。『これは大量点で勝てる』とみんな思ってしまった」。ところが、安打は出るものの得点には至らず、結局スクイズで喫した1点を取り返せず惜敗。「あの夏があったから今の自分がある。大きな財産です」と噛みしめる。
○…球児には真正面からの真剣勝負を期待する。「一生懸命プレーすることが応援してくれる人への恩返しになりますからね」。いまは大舞台に向けキャッチボールで肩を作る毎日。始球式のマウンドには藤沢商業当時のユニホームで上がる。「お世話になった人たちに元気な姿を見せたい。野球人生の集大成にできれば」と笑顔を見せた。
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