今年1月から「徳洲会体操クラブ」の監督を務めている 米田 功さん 梶原在勤 35歳
今できることを懸命に
○…2004年のアテネ五輪。主将を務めた男子体操団体で、28年ぶりの金メダルを獲得した。今もその勇姿が記憶に残る人は多いだろう。今年1月、00年から所属している「徳洲会体操クラブ」監督に就任。今後は指導者としての手腕が期待される。
○…大阪府堺市出身。世界の頂点を極めたアスリートも、幼少期は小児ぜんそくに苦しみ、入院の日々。治療のために始めた水泳は肌に合わず、いつも泣いていたという。休み時間は鉄棒の周りでよく遊んでいた。そんな教え子を見ていた小学校の担任からの助言で、体操と出会った。マック体操クラブ、清風中学校、清風高校と、エリート街道を歩み、中学で個人総合日本一、高校でも2位。絵に描いたような勝ち組と思いきや、自身の胸中は複雑だった。名門ゆえに勝つことを義務付けられ、体操を「やらされている」状況につのる不満。「自分の意思で体操がしたい」と、自由な環境を求め、強豪ではない順天堂大学に進学した。
○…ところが、今度はたがが外れたように、海へ山へと遊びに出た。「自制できるほど大人じゃなかった」と当時を振り返る。大学在学中にNHK杯個人総合優勝など輝かしい実績を挙げたものの、シドニー五輪代表選考ではミスをして落選。以来、素質で結果を補ってきたそれまでの価値観が、「一つひとつ積み重ねて結果を出す方がかっこ良い」と一変した。指導する選手には「常に体操のことを考えて欲しい。今しかできないことに目を向けて」と、自身の経験から得た思いを伝える。
○…「徳洲会を日本一に」と、穏やかな口ぶりに熱い思いを秘め、その先には教え子の五輪金メダルを見据える。監督の任に加えて、自身の体操クラブも運営。現在は休みがほとんどない。家族は妻と1歳半になる娘。休日に団らんのひと時は、と尋ねると「それが完成形ですよねえ」と一瞬、父親の顔になった。
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