鎌倉と源氏物語〈第19回〉 後深草院宮廷と『源氏物語』
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
『源氏物語』は他の古典と著しい違いがあります。それは宮中に密接な文学だということです。単に主人公の光源氏が桐壷帝の皇子で舞台が宮中というだけでなく、この物語の制作自体が紫式部と藤原道長の長女で一条天皇中宮の上東門院彰子による特殊な環境で作られました。紫式部が書く傍から中宮彰子や道長が清書していったのです。
ですから『源氏物語』には公卿ら臣下一般に普及したのとは別次元の、宮廷独自に伝わる源氏物語嗜好というものがありました。
国宝「源氏物語絵巻」は白河院の制作といわれていますが、白河院が源氏物語に傾倒した背景には、20歳まで皇位につけなかった少年皇族の、自分は光源氏だと思って成長した心の闇があると思います。白河院は中宮彰子の曾孫。少年期にきっと、じかに紫式部の制作話を聞いて育っています。
後深草院のご兄弟である第六代将軍宗尊親王も「源氏物語絵巻」を携えて鎌倉に下向されました。父帝・後嵯峨院が源氏物語に深い関心を寄せられたのも、源平の争乱や承久の乱で荒廃した宮廷文化の復興という明確な目的がありました。
『とはずがたり』には後深草院の異常なほどの源氏物語への執着が記されており、源氏物語を意識した逸話がたくさんあります。よく『とはずがたり』の評論中に頽廃の語が使われますが、それだけではない深い背景がある気がします。
織田百合子
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