鎌倉のとっておき <第40回> 和のスイーツ 鎌倉から
羊羹をはじめ栗饅頭や大福餅など、お茶うけとして欠かせない和菓子。鎌倉にも数々の銘菓があるが、その起源は鎌倉時代の禅宗や茶道の発展と深い関係がある。
中世鎌倉では、食事は朝夕の二食であったが、禅宗では勤行(ごんぎょう)による空腹を補う間食として点心(空心(腹)に小食を点ずる意の禅語)があった。今でいうおやつである。
当時の点心は、中国から渡来した羹(あつもの)をはじめ、うどんや素麺などの麺類、餅など。特に羹、例えば「羊羹」は、元々熱い汁に羊肉を使った蒸し物が入ったものだったが、日本の仏教思想では鳥獣肉を食べないため、羊肉に代えて豆類など植物性の素材を使い、色や形を似せるなどして作ったものだった。
時を同じく、壽福寺の開山、栄西がもたらした喫茶の習慣と茶道の発展に伴い、茶道に使う菓子としての点心が求められていた。そんな中、当時輸入が増えていた砂糖と羹などの点心とが融合し、日本独特の点心の姿が徐々に形作られていった。これが現在の和菓子の源流(ルーツ)となったのである。
室町時代には『庭訓往来』(庶民用の初等教科書)の中に点心として「砂糖羊羹」の記載も見られ、さらに茶道の隆盛とともに、わらび餅やくず餅など私たちにも馴染みの和菓子が茶味としても用いられるようになった。
古都鎌倉は見どころあふれる禅宗文化発祥の地としても、また食文化のルーツ、多彩な“和のスイーツ”でも、訪れる人々の五感を楽しませてくれる街である。石塚裕之
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