鎌倉のとっておき 〈第44回〉 鎌倉と失われた名刹〜禅興寺〜
鎌倉は神社仏閣が多く、都市に対する密度の高さが特徴の一つである。四方が山や海に囲まれ、場所が限られていた事もあるが、人々が身近に篤い信仰と神仏への崇敬の念を大事にしてきたからとも捉えられる。現在市内には160もの寺社があるというが、歴史を遡ると今は失われた寺社もある。それらを加えると相当な数が鎌倉にあった。
失われた寺社の中には名刹もあった。例えば明月院の隣にあった禅興寺は、鎌倉時代に北条時宗が建て、蘭渓道隆が住持として関わった。鎌倉時代後期の「北条貞時十三年忌供養記」では、円覚寺、建長寺、寿福寺、浄智寺に次いで92名の僧侶が参列したと記されている。当時の規模の大きさがうかがい知れる。また関東十刹の第1位になった事もあるといわれ、格式の高さも備えていた。室町時代に描かれた「明月院古絵図」には明月院の左端に「禅興寺」と書かれている。江戸時代の「新編鎌倉志」には仏殿のような建物が描かれている。
禅興寺は明治初期に廃寺となってしまった。このように今は鎌倉に存在しない寺社の中にも名刹があり、その跡地を訪ねるのも鎌倉散策の楽しみの一つである。 浮田定則
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