鎌倉のとっておき 〈第91回〉 2代将軍源頼家とともに〜比企氏〜
源頼朝亡き後、鎌倉幕府の将軍は、武芸に優れた長男の頼家が継いだが、その妻(側室)は、頼朝挙兵から武功のあった比企能員(ひきよしかず)の娘、若狭局(わかさのつぼね)であった。
そして、局が頼家の嫡男(一幡)を授かったことから、局の実父、能員は将軍の姻戚として、幕府運営を合議する宿老(13人)の中でもその勢力を強めていった。
こうした中、幕府内では、亡き将軍の妻の姻戚である北条氏(時政・義時)と、現将軍の妻の姻戚である能員との覇権争いが熾烈になっていった。ある時、頼家が重病となった際、将軍の権力の象徴ともいえる日本国総守護・総地頭の地位が、頼家からその子一幡や弟の実朝へと譲られてしまうという事件が起こった。
頼家の義父、能員は、この事件の首謀者とみた北条氏を討とうと頼家とともに画策したが、この謀(はかりごと)は亡き将軍の妻政子の知るところとなった。そして能員は、逆に頼朝の義父、北条時政に討たれ、比企一族も頼朝の義弟、北条義時により滅ぼされてしまった。頼家もまた、伊豆の修禅寺に幽閉され、北条氏により亡き者とされたのである。
比企氏の邸宅跡には、1260年日蓮により妙本寺が建立され、境内には、若狭局を祀る蛇苦止堂や、その子一幡を祀る袖塚などが今もひっそりと佇(たたず)んでいる。また、寺のある比企谷(ひきがやつ)と呼ばれる谷戸は、樹木に覆われて夏でも涼しく、秋は紅葉の名所にもなっている。
石塚裕之
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