鎌倉市初の「国際交流員」として、出身地のフランスと鎌倉の架け橋となったネーム・エレンさん(27)。2018年から任期終了の今年9月末まで、3年間の足跡を手記で綴ってもらいました。
2018年8月13日、初めて鎌倉に来ました。大きな荷物を運びながら市役所の前に立った時は、不安でした。初日から取材も受け、心が折れるかと思いました。
私は鎌倉市初の国際交流員だったので、1から計画する自由さがありました。1年目から自分なりに工夫して考え、日本とフランスの交流イベントを実施することができました。企画から準備、当日の設置や講演まで、ほぼ全体を管理し充実を感じました。
このイベントは『ハーフ』という映画の上映とお話会でした。母は日本人で、父はカンボジア人。フランスに生まれ育った私は、ハーフという言葉をよく耳にし、ミックスルーツや多様性について市民と意見交換するのが、国際交流員としてやりたかったことでした。市民とのお話会の時に積極的に意見を述べてくださり、想像以上でした。そして、「ありがとう」「参加してよかった」という声がとてもうれしかったです。
「多様性」という言葉を意識してもらうのが国際交流員の一番の役目だと思いました。いろんな学校を訪問してフランスについて紹介すると、子どもたちから積極的な意見をもらい、とても興味深い時間でした。子どもたちや先生に感謝しています。こうしてお互いに認め合い、尊重し、平和な社会をつくるため、少しは役に立ったのかなと思います。
そして、東京五輪に触れることもできました。鎌倉市はフランスセーリング連盟の事前キャンプ地として、2018年からセーリングチームを支援してきました。その他、選手等と市民の交流事業も実施しました。五輪ではチームと市役所や関係者の間に入り、通訳だけでなく、書類翻訳や企業との調整もしました。言葉や文化の壁があり、時々双方の理解を得ることが難しかったですが、両文化について勉強できたと思います。
私は日本語を身につけるため、そして日本の社会や文化を理解するために国際交流員になりました。予想以上にいろいろ学び、いろんな方と出会い、交流し、国際交流員になってよかったです。皆さんには心から感謝しています。これからもいろんなことを学び、楽しい人生を送ってください。
お世話になりました。
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