100年前の1923(大正12)年9月1日、マグニチュード8クラスの関東大震災が発生した。鎌倉でも建物倒壊や火災の被害が多発し、津波も襲来。街は壊滅状態だった。寺社や文化財の被害も甚大で、鎌倉大仏が40センチ以上動いた記録も残っている。
「鎌倉震災誌」によれば、鎌倉町(全戸数4183戸)では、約35 %にのぼる1455戸が全壊、1549戸が半壊し、死者412人に、重傷者341人を数えた。
坂ノ下・長谷・乱橋材木座においては、津波により113戸が流出。漁船や海の家の被害も出た。長谷・由比ガ浜や小町・雪ノ下では、火災が発生し、443戸が全焼。山ノ内を含む大船では全半壊530戸、腰越津村や深沢村でも大きな被害があった。
いずれの地域も被害が軽微だったのは、ごく一部と見られる。
寺社や文化財も被害
多くの寺社も被害を受けた。鶴岡八幡宮では、舞殿や一ノ鳥居(国重要文化財)などが全壊。円覚寺の舎利殿(現国宝)も倒壊。高徳院では、高さ11メートル、121トンある鎌倉大仏(現国宝)が台座沈下で、前方に40センチ以上せり出したと記録が残る。
寺社に伝わる仏像など、文化財の被害も相次いだ。当時国重要文化財に指定されていた北条時頼坐像(建長寺)や聖観音立像(東慶寺)、地蔵菩薩坐像(浄智寺)なども破損し、奈良から来た技術者が修理を行ったという。
5年後には、災害から文化財を守り後世に伝える施設として「鎌倉国宝館」が創設され、県内外の寺社の宝物などの修理も請け負った。
手記もとに被災時を再現
関東大震災から100年にあたり、鎌倉市中央図書館内にある近代史資料室の一角で8月24日、1枚の絵が仕上がろうとしていた。同室と市民の澁谷雅子さん、伊東雅江さんが、長谷や坂ノ下、由比ガ浜の震災直後の様子を再現したものだ。
作画のもとになったのは、近代史資料室が6年前に発行した「鎌倉震災手記 98人が綴る鎌倉の関東大震災記録」。震災に関する住民の手記や、芥川龍之介ら著名人が本へ記した文章などがまとめられている。
震災経験者98人の記憶に沿って平田さんたちが手がける絵には、街へ襲いかかろうとする津波、長谷に広がる炎のほか、流されるグランドピアノ、津波から避難しようと松林に登る親子、アジサイの木に引っかかり助かった少年などが細かく描写されている。ある手記によれば、当時の消防団は毎月1日に訓練を行っており、9月1日の訓練の真っ最中に大地震が発生。そのまま長谷の火事場で消火にあたる様子が描かれている。
別の手記ではこうつづられている。『親に手を引かれる子供たちが火のついたように泣く。阿鼻叫喚というのはこういう状態だろうか』。鎌倉に壊滅的な被害をもたらした関東大震災。近代史資料室の平田恵美さん(77)は絵を眺めつつ、「本当に大変だったと思う。私たちが伝えていくことで、防災への意識が高まっていけば」。
復興見守った屋根
鎌倉大仏から目と鼻の先にある土産店「山海堂商店」は、関東大震災前までは鎌倉大仏のすぐ脇に店を構え、主に骨董品を扱っていた。しかし、震災で店は損壊。現在の場所に新たな店を建て、営業を再開したという。
現店主の亀ヶ谷明さん(73)は、「震災直後は資材も足りていなかったからか、当時の店の屋根を今でも一部使っている」。街の復興とともに営業を続けてきた同店は、時代に合わせて取り扱う品も変化。最近では、海外観光客向けの商品を充実させている。100年前の大震災を経て、今なお続く店に「よくここまでやってこれたなぁ」と亀ヶ谷さんは感慨深げに話し、スタッフの千代任俊さん(41)は、「これからもお客様に満足してもらえる商売を続けていきたい」と前を見据える。
図書館、国宝館で展示
関東大震災から100年の節目に、市中央図書館では近代史資料室の絵や災害写真、手記を9月30日(土)まで展示中。鎌倉国宝館でも10日(日)まで、文化財の復興に着目した特別展を開催している。
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