鎌倉と源氏物語〈第17回〉 二条の縁戚北山准后とは
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
鎌倉幕府と朝廷を取り持つ関東申次を務めた西園寺家の家名は、実兼の曾祖父・西園寺公経が京の北山の山荘に西園寺を創建したことによります。北山とは現在、金閣寺が建つあたりの地域です。
公経は源頼朝の姪を妻にしており、2人の間の娘が九条道家と結婚。そこに生まれたのが第4代将軍頼経でした。つまり生粋の親幕派。鎌倉幕府と朝廷が戦った承久の乱では幽閉されますが、鎌倉方が勝って西園寺家の運勢が開けます。「青表紙本源氏物語」を制作した藤原定家も公経の姉を妻にしているため、親幕派として知られています。
二条は実兼から贈られた豪華な衣装を北山准后から貰ったと偽りました。この北山准后という人物は、公経の子・実氏の妻です(西園寺家は公経―実氏―公相―実兼)。北山准后は、二条が実兼の恋人になった時にはすでに高齢で、『とはずがたり』には北山で九十の賀が盛大に催された様子が描かれています。二条は北山准后の養女の子なので孫のように可愛がられます。
ただ北山准后の娘の1人、後深草天皇中宮である東二条院は、後深草院の寵愛を受ける二条に嫉妬し、将来宮廷から追い出すキーパーソンとなります。『源氏物語』の若紫のような若い二条を憎んで当然でしょう。東二条院は光源氏の母の桐壺更衣を憎む弘徽殿女御のような立場の女性です。
織田百合子
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