鎌倉のとっておき 〈第141回〉 鶴岡八幡宮と浅草浅草寺の関係
源氏再興にむけ挙兵をした源頼朝が、鎌倉に入る前に、平家追討の祈願のため浅草寺に立ち寄ったというのは有名な話ですが、意外と知られていないのは、鶴岡八幡宮から浅草寺に「元版一切経」5458巻が移送されたという話です。
これはそれほど昔の話ではなく明治政府が出来た頃の話です。そもそもこの元版一切経は、北条政子が子頼家の追善供養のために中国から取り寄せて鶴岡八幡宮に奉納したものですが、明治政府は神仏分離令を発布し、神社境内でありながら仏教色の濃いものは排除しようとしました。鶴岡八幡宮も江戸時代末まで鶴岡八幡宮寺でしたので、まさにそのターゲットになりました。
そしてこのお寺と神社の混淆の象徴の1つが元版一切経でした。そこで浅草寺に深く帰依していた貞運尼という尼僧は、浅草寺は大寺院であり、5000巻もの経典を収蔵しておけると考えました。貞運尼は托鉢にでて浄財をかき集め、それを元手に自ら買い取り、明治4年に浅草寺に奉納することに成功します。その時5000巻もの経本を運ぶのに一役買ったのが、あの有名な浅草一帯を取り仕切り、火消し組頭の新門辰五郎だったのです。
この元版一切経は当初浅草寺の経蔵に保管されていましたが、太平洋戦争の東京大空襲でその経蔵は焼かれてしまいました。しかしながら元版一切経は大勢の協力もあり事前に疎開され、現在浅草寺の宝蔵門(仁王門)に5458巻全巻保管されています。 九川孝司
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