茅ヶ崎の轍(わだち) 第43回 (前編)道編「水道みちと山下の道」 協力/茅ヶ崎市文化資料館
昭和の初め、上水道と農業用水を茅ヶ崎方面に引く県の計画が相次いで起こりました。この工事は、生活基盤を整備するとともに、昭和初めの不況から脱出するために、工事に伴う賃金労働の仕事を生み出すという、2つの目的も兼ねていました。
上水道は、寒川取水堰から取水し、寒川町から逗子市まで続いています。配水管は、茅ヶ崎市域では主に大山街道に埋設しましたが、大山街道の下を通らない部分は用地買収をして、水道管を埋めました。その地上部で、道路として使用を許可された道が「水道みち」と呼ばれています。
「水道みち」は、寒川町大曲を通り、香川の間門からJR相模線の大山街道踏切の東まで、直線で通っています。ここから水道管は大山街道の下を通り、鶴が台中の北側から分かれて、再び「水道みち」になります。相模川左岸用水路、小出県道(県道遠藤茅ヶ崎線)と交差し、松林公民館の北側から再び大山街道の下を通ります。以前は田んぼばかりだった香川の間門の「水道みち」ですが、小出県道から東の赤羽根の部分が道路として整備されると、松林小に通う子どもたちの通学路になりました。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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