茅ヶ崎と山田耕筰、さらには代表曲『赤とんぼ』のつながりを紐解いてきた市民団体「『山田耕筰』と『赤とんぼ』を愛する会」が、存続の危機に瀕している。会員10人の平均年齢は82歳。「後世に伝えていってほしい」と、会の担い手を募集している。
今では、夕方になると当たり前のように市内で流れる童謡『赤とんぼ』。しかし、愛する会が始動する前までは、日本を代表する作曲家・山田耕筰(1986-1965年)が茅ヶ崎で暮らしていたことや、名曲と呼ばれるまでになった赤とんぼが茅ヶ崎で生まれたことは、まったく知られていなかった。
紐解いた事実
それらの事実を突き止めたのは、愛する会の名誉理事長である内山喜代子さん(76・東海岸南在住)。遡ること25年前、音楽関係の仕事をしていた内山さんが、知人男性からこう聞いたことが始まりだった。「おれが大学生の頃に、山田耕筰が茅ケ崎駅で降りるのを見たよ」
内山さんはすぐに市役所へ問い合わすが何もわからず、電話帳で「山田」姓を調べた。すると「山田耕嗣」を発見し、「名前に耕が入っているのでもしかしたら」と内山さんは受話器を取った。電話に出た山田耕嗣さんに、「耕筰さんのお宅ですか?」と問うと、耕嗣さんが息子であることが判明。その日のうちに山田邸を訪れ、没後30年が経過していた音楽家について話を聞いた。
そして20年前、内山さんは愛する会を発足。耕作が茅ヶ崎に6年間居住したことや、その間に赤とんぼを手がけたことを、コンサートなどを通じて市民へ伝えていった。メンバーの高齢化で活動が難しくなった愛する会。内山さんは「引き継いでくれる方に、何をしてほしいとかはないんです。山田耕筰の功績を次世代につなげてもらえれば」と願うばかりだ。(問)内山さん【携帯電話】090・8316・2648
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