日本のメダルラッシュで幕を閉じた東京五輪。特に注目を集めた競技の一つが、日本最年少金メダリストが誕生した「スケートボード」だ。茅ヶ崎に暮らし、2016年から日本代表監督として選手たちを育成・サポートしてきた西川隆さん(55)に、五輪終了後の率直な感想や今後の展望などを聞いた。
東京五輪で新競技として採用された「スケートボード」。オリンピックへ向けての選手育成は初めてのことで、「すべてが手探りだった」と振り返る。
代表合宿等は行わず、「あれしろ、これしろ、なんてことはうるさく言わないで、各自で強化に務めてもらった」。スケボーは、競技であると同時に、ファッションや音楽等さまざまなカルチャーがミックスされたストリートスポーツ。「個人の感性やスタイルも大切だからね」とほほ笑む。
もちろん、選手の持つ力を100%引き出せるようアドバイスは惜しみなく送った。しかし、今回、金メダルを獲得した西矢椛選手(13・女子ストリート)や四十住さくら選手(19・女子パーク)をはじめ、若いアスリートが多かったこともあり、「メンタル面でのサポートに重点を置いた」という。
オリンピックが近づくにつれ、「国を背負う自覚も出てきた」と選手らの意識の変化も感じられた。「複数人で表彰台に上がりたいと思っていた。自信はあった。でも実際は驚いたし、うれしかった」と、その瞬間を思い出すように満面の笑みを浮かべる。
スケボーは「ライフ」
西川さんとスケボーの出合いは中学生の時。友人がスケボーを持っており、関連する映画を一緒に観たことが「ハマる」きっかけになった。
「トリック(技)ができた時の達成感は病みつきになり、できないとへこむ。それがとにかく面白かった」と、練習に明け暮れる毎日だった。
高校生になると、圧倒的な品揃えで当時スケーターたちの聖地となっていた、ムラサキスポーツ原宿店に出入りするように。その頃は都内に住んでいたこともあり、「代々木の歩行者天国で滑ったり、渋谷の美竹公園で滑ってから、用もなくお店に出入りしてました」と懐かしそう。
「あまりにも顔を出すものだから、バイトするか?と店長から声を掛けられ」翌日には店員デビュー。高校卒業後、そのままムラサキスポーツに就職した。
茅ヶ崎店への異動とともに、茅ヶ崎へ移り住んだ。当時の印象は「すげー田舎」。しかし、結婚し子どもを授かると、「海も近いし、自然豊かで環境がいい」とお気に入りのまちになった。
スケボーの他、スノーボーダーとしてもプロの実力を持つ。もちろんサーフィンも楽しむ。「スケボーはライフ、スノボーは仕事、サーフィンは楽しみって感じですね」
練習環境の整備「今の使命」
現在は、ムラサキスポーツのマーケティング部に勤務する。全国各地のスケボーパークでの指導や、新設するパークを監修したりと、多忙な日々が続いてる。
注目度は一気に増した。「かっこいいなと思ってくれればうれしい。年齢関係なく一緒にできるので、楽しむ人が増えれば」と未来を思い描く。そのために、やるべきことは「拠点作り」とキッパリ。「誰もが練習できる環境を作ってあげること。それが今の使命です」
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