Vol.3 茅ヶ崎で暮らすウクライナ人 課題と希望
ロシア軍の侵攻によって避難を余儀なくされ、現在、茅ヶ崎市民として暮らしているウクライナ人たちの日常、また現状の課題、今後の展望について、関わる方々に伺います。
違いを許容できるまちにShonan loco(湘南ロコ) 篠田琢さん
篠田さんがウクライナ避難民の支援を始めたのは、知り合いのアメリカ人大学教授ダニエル・ドーランさんが、支援サイトに登録し、茅ヶ崎への受け入れを進めているのを聞いたことがきっかけ。「自分も何かしたい」とチャリティー商品などの収益を全額ダニエルさんの活動資金に充てた。後にNPO団体「Shonan loco」(湘南ロコ)の立ち上げに加わり、オンラインでの面談を通じ避難民だったオルハ・ティシェンコさんを茅ヶ崎での第1号として受け入れることに。自身は、市の担当課への問い合わせや他の協力者の募集に奔走した。
その後も日本への避難希望者が後を絶たず、8人ほどの避難民と面談した。その際、「本当に日本に避難する必要があるのか」と、見極めに苦労したという。「住んでいる地域の戦況、家族構成など深入りできない部分もあり難しかった」。当時は政府も受け入れ態勢、手続きの方法などが整っていなかった上、ウクライナから出国した経験がないといった避難民が多く、手探りで活動が進められた。「切迫した人たちを選んだつもり。身の安全だけは確保してあげたい、その一心だった」と振り返る。
「思いやりと寛容で」
オルハさんを受け入れた後は、生活支援などについて市や県に1件1件問い合わせた。就職先が見つかるまでの間、自身が営むコーヒー店で手伝いをしてもらったことも。日用品をSNS上で募るなど、身の回りの世話にも注力した。
オルハさんはその後、都内で一人暮らしを始めた。後に受け入れた女性は、来日後に知り合った日本人男性と国際結婚するなど、それぞれ自立に向けた第一歩を踏み出している。
篠田さんは「支援に当たり、大きな壁となっているのが言葉、文化の違い」とする。「日本人にはウクライナ語はなじみがなく、ほとんどの人は英語も分からないため、コミュニケーションが難しい」という。
その上で、「地域の方には彼らとの違いを認めて接してほしいし、ウクライナ人たちも今を『ステップアップのとき』と考え、積極的に地域の人とコミュニケーションをとる努力をしてほしい。互いに思いやり、寛容な気持ちを持ってもらえれば」と願う。
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