茅ヶ崎市の西浜で禊(みそぎ)をし、豊漁と五穀豊穣を祈る浜降祭は起源が諸説あるとされている。鶴嶺八幡社4社(浜之郷・矢畑・西久保・円蔵)では、寒川神社と鶴嶺八幡宮が浜降りの神事を別々に行っていたとする見解を持って浜降祭に臨んでいるという。
鶴嶺八幡宮の氏子総代の代表を務める鈴木幸雄さんは「鶴嶺八幡宮の神輿を西浜に担いで禊をする、『禊祭』という神事を独自に行っていた」と話す。
1780年(安永9)に記された「当社年中祭附口神領石高帳」には「浜二而御供ト御神酒」と記されており、鶴嶺八幡社の別当寺「勝福寺縁起」には「1271年(文永8)浜にて祈祷」との記録があるとされる。記録によれば、寒川神社は6月30日、鶴嶺八幡社は6月29日に別々に行っていたが、1873年(明治6)に鶴嶺八幡社が寒川神社の摂社(寒川神社に付属し、その祭神と縁故の深い神を祭った神社)となり、翌年から合同で行うことに。後に農繁期を避けるため、浜降りの神事の日程を7月15日に変更、名称も浜降祭と名付けられた。
鶴嶺八幡社4社では、こうした歴史的な背景を理由に、「禊祭」を後世に語り継いでいくとともに、浜降祭が近づいてくると4社の関係者では神事にかけた思いを大切にしているという。
先人の思い誇りに
いよいよ迫ってきた浜降祭を前に、鈴木さんは「今は寒川と一緒に浜降祭を開催しているが、『禊祭』という昔から行われてきた神事について感慨深く思う。鶴嶺八幡宮は露払い(貴人や神霊などといった高貴な者を先導すること、またはその先導する人のこと)なので、浜に出るのが一番最初であることはとても誇りに感じる。先人たちの思いを大切にしながら、今年も祭りを一層盛り上げられるように皆で頑張りたい」と決意をにじませる。
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