歌い継ぐ 「赤とんぼ」 産学公で今春山田耕筰の碑を設置
茅ヶ崎の街で創作された山田耕筰の代表作「赤とんぼ」を後世に伝えようと、市内の産学公が連携して2年前に立ち上げた「童謡『赤とんぼ』の碑を建てる茅ヶ崎市民の会」。今年3月に待望の記念碑が建立される。
日本を代表する音楽家である山田耕筰は1926年、40歳の時に家族6人で茅ヶ崎へ移住してきた。2年前に設立した日本交響楽協会(後のNHK交響楽団)の分裂問題などで疲れ果ててのことだ。
南湖や東海岸北などに居を構え、子どもらと過ごす日常と湘南の穏やかな気候が再び彼に作曲への意欲を芽生えさせた。名曲「赤とんぼ」や「この道」、「砂山」といった童謡の普遍的なメロディを作り上げていったのがまさに茅ヶ崎で過ごした約6年間だ。
「赤とんぼ」の発表は移住翌年の27年。意外にも当初は余り歌われることは無かったとのことだが、その叙情的なメロディは第2次世界大戦(1939年〜45年)頃からラジオ放送などで日本全国へ広がっていった。この作品は現在も、ふるさとの歌として思い出される世代を超えた代表曲となっている。
街の文化的財産を形に
茅ヶ崎で生まれたこの文化遺産を形に留めようと2年前に立ち上がったのが「童謡『赤とんぼ』の碑を建てる茅ヶ崎市民の会」。商工会議所の田中賢三会頭を会長とし、文化団体や市内有志、企業などが記念碑の建立に向け活動を行っている。製作に関してはTOTO(株)や東邦テック(株)などの市内企業、デザインなどは文教大学が担当。茅ヶ崎市も設置許認可でサポートしており、産学公が一体となって取り組んでいるのもこのプロジェクトの特徴だ。
一昨年から計画の具体化や必要な経費を捻出するための募金活動を実施。先ごろ設置場所を中央公園の敷地内に、完成除幕式を今年3月20日に実施することが決まった。
田中会長は「形として残る記念碑を建立することで、この名曲が茅ヶ崎で誕生したことがより多くの市民の方々に知って頂けると思います。『赤とんぼ』を歌い継いでいくことが茅ヶ崎の財産になると思います」と話している。
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