茅ヶ崎市文化資料館 おうちでミュージアム 連載Vol.16
南湖院外来受診規定(なんこいんがいらいじゅしんきてい)
感染症の一つである結核は、日本において1950年代まで「国民病」「亡国病」と呼ばれて恐れられ、死亡原因の第1位でした。
戦前の茅ヶ崎には、「南湖院(なんこいん)」という大きな結核療養所(サナトリウム)がありました。医師の高田畊安(たかたこうあん)が明治時代に開院したこの療養所は、最盛期、現在の西浜中学・高校の周辺に約5万坪の敷地をもっていました。「東洋一」と称された理由もうなずけます。
今回紹介するのは、昭和10(1935)年の「南湖院外来受診規定」です。表紙の南湖院の電話番号は「貮(に)番」とあります。かつて茅ヶ崎村の電話番号は、郵便局が1番、南湖院が2番、茅ヶ崎館が3番でした。近代茅ヶ崎の黎明(れいめい)期に、南湖院が果たした役割の大きさを伺い知ることができます。
次に、往診料です。「院長 一時間金貮拾(にじゅう)圓(えん)」、つまり院長の往診料は1時間20円とあります。公務員の初任給が75円の当時。しかも「車馬(しゃば)料患家負擔(りょうかんかふたん)」、つまり院長の交通費は患者持ち。被用者保険は一部で始まったばかり、国民健康保険もまだ無く、気安く医者にかかれる時代ではありませんでした。
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