相模線がまだ私鉄だった90年前の「沿線案内」が見つかった。(株)サンエーサンクス(倉見)に勤務する添田一信さんが実家を整理していた際に見つけた。戦前の風景をとどめる貴重な資料で、祖父の良信さん(故人)が入手したものと思われる。
絵図はすでに全線開通した後の様子が描かれ、寒川駅から伸びた支線の先に「四宮」(四之宮駅)が読み取れる。寒川なのに「四之宮駅」なのは、当時この付近が平塚側の飛び地だったため。同様の案内図は100年前の開通(1921年)から5年後、7年後に発行されたものが現存しており、やはり四之宮駅が見て取れる。
砂利の出荷用
当時は関東大震災の復旧などで砂利の需要が高く、この支線は相模川で掘った砂利の出荷が目的だった。四之宮駅は新明和工業(田端)の西側付近(土手のあたり)にあったらしい。終戦前に相模線が国有化された時に廃線となり、今は何の痕跡もない。この四之宮駅と寒川駅との中間には「東河原駅」が加わり、のちに「西寒川駅」等と改称されて80年代まで使われた。廃線後は八角広場として名残をとどめている。案内図を発見した添田さんは「長い積み重ねががあって今があることを改めて実感しました」。路線図が入っていた衣裳箱からは古いバス路線図や絵葉書類も見つかったという。
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