寒川ライオンズクラブの新会長に就任した 久留主 繁さん 寒川町倉見勤務 68歳
咲かせ、見守り、地道にゆく
○…総合運動公園横の産業道路沿いに咲く数千株もの赤いベゴニア。ライオンズが地元の各団体とタッグを組んで咲かせる花街道だ。植えた後も定期的な雑草取りや水遣りなど世話は欠かせない。植え替えで一定期間土だけの光景になると「寂しい」「いつ植えるの」といった声が耳に入る。何もなくなって初めて、その彩りを実感するのかもしれない。「昔に比べてポイ捨てごみも減った」と手ごたえも感じる。ライオンズクラブに入って12年目の会長職。「流れを変えたら、止まってしまう。しっかり継承したい」と先人たちを静かな大河に喩えた。
○…故郷は福岡の炭鉱地・田川市。大手セメント会社の城下町で従業員だらけの長屋に育った。身内に自衛隊員がいた縁で、18歳で陸自に入隊。冬はマイナス20度以下になる北海道美幌駐屯地だったが、広大な大地で働く喜び、個人の責任も全員で負うチームワークを学び、陸士長まで務めた。5月連休中、当時の同僚と「155ミリ榴弾砲」に再会。わが子の写真を見せるようにスマホ画面を見せ「最初はドーンという射撃音が怖かった。耳鳴りしないように撃つ時に口を開けるんです」
○…その後職業安定所で紹介してもらった先が薬の販売会社だった。数年働いた後に仲間と平塚市で独立。35年前に寒川に本社を移すと圏央道開通が追い風になった。心に刻む「凡事徹底」。人の口に入り病を治す薬を扱うだけに「当たり前」の重みが違う。世の中がバブルの頃も地道な経営に徹し、一代で県内5営業所に育てた御仁は「自分の力じゃない」と繰り返した。社員が増えても一人ずつ社長室で顔を合わせるのが日課。出勤時も外出時も帰宅時も「相手の目を見て話さねば」。会いたい人が多く、出張続きの人でもある。