圏央道の高架(一之宮)の下のフェンスにひっそりと掲げられた「A事案区域」の看板。戦時中、化学兵器を製造する旧相模海軍工廠の敷地だった場所を示している。18年前のきょう(9月25日)、高架の建設現場から毒ガスの入った数本のビール瓶が見つかった。
割れた古い瓶は異臭を放ち、作業員11人が被災、発疹やかぶれなどを発症した。当時の新聞は水膨れやただれといった「びらん状態」になったとも伝えている。防衛庁の分析で、その中身は化学兵器に使われるイペリット(マスタードガス)などと判明した。まもなく現場の掘削や周辺の土壌調査が行われ、11本の毒物入り瓶のほか、不審物を含め約800本が見つかった。これらは近くに作られた「無害化処理設備」で処理され、現場の安全が確認されたのちに圏央道の建設が再開した。
いま現地を歩いてもその名残は見当たらず、工場や物流拠点の操業音だけが響く。町内で話題に上ることはほとんどない。相模海軍工廠は現在の一之宮7丁目付近に広さ70万平方メートルの規模で広がり、最盛期に約3千人が従事、町内外から徴用された人や学生たちが化学兵器の製造に関わった。「宇宙人のような」ゴム製の服を着て薬品を攪拌したり爆弾用の容器に入れる作業もあり、劇物が衣服に付着して皮膚がただれることもあったという。親が工廠の軍医だった女性(81・一之宮在住)は「親から、工場内の事故で人が折り重なって亡くなったとか、終戦後に穴をほじくって毒ガスを埋めたと聞いた。当時の工廠一帯は異様な雰囲気だった」と振り返る。過酷な環境下での作業の末、戦後も多くの人が慢性気管支炎や肺気腫などの後遺症に苦しみ、国による救済認定も行われた。「化学兵器が作られていた事実を忘れないでほしい」「このつらい経験を若者たちに伝えたい」――その証言集は寒川文書館の書棚の一角に並んでいる。
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