NHK大河ドラマの原作になった『天地人』などを執筆した市内在住の歴史作家で、今年2月26日に亡くなった火坂雅志さん(享年58)=本名・中川雅志=の納骨法要が7日、豊田打間木の慈眼寺で行われた。墓は火坂さんが生前にこよなく愛した村井弦斎の眠る墓所に並ぶように建てられている。
火坂さんは出版社勤務を経て1988年、32歳で作家デビューした。
徳川家康の政治工作に重用された金地院崇伝(こんちいんすうでん)や、豊臣秀吉の相談役だった医者の施薬院全宗(せやくいんぜんそう)、織田信長の師僧で参謀だった沢彦(たくげん)ら、それまでの歴代作家が光を当ててこなかった戦国時代の参謀役を好んで執筆し、人気小説家として脚光を浴びた。
代表作は、戦国大名の上杉景勝に仕えた執政、直江兼続の生涯を描いた『天地人』(NHK出版)。第13回中山義秀文学賞を受賞し、09年のNHK大河ドラマの原作にも採用された。
平塚の歴史にも光
新潟県出身の火坂さんは35年ほど前から、妻・洋子さんの生まれ育った平塚市に住んでいた。
自らの住む地域の歴史にも目を向け、明治期のベストセラー小説『食道楽』の著者で、市内に居を構えたという村井弦斎にとりわけ強い関心を寄せていた。
2004年、横浜市にあった弦斎の墓が慈眼寺に移されたのを機に、命日に墓前祭を開こうという地元の要請を受け、「弦斎忌」の実行委員長に就任。地元の文化遺産として、弦斎の存在に光を当てる活動に尽力した。また、弦斎を主人公にした小説『美食探偵』(講談社)を執筆したほか、弦斎邸の跡地に建ったマンションを購入し、住むほどの熱の入れようだった。
そんな縁で、同寺に建てられた火坂さんの墓石には、小説のタイトルになった「天の恵み 地の利 人の心」の文字が刻まれた。妻の洋子さんは「色紙にサインする時にも好んで書いていた。作品は他の誰にもできない仕事だったので、刻んであげたかった」と話す。
7日の納骨法要には、親族や弦斎忌実行委員会のメンバーら関係者約30人が参列した。同委員で平塚市博物館の元館長、土井浩さんは「高山樗牛をはじめ病気療養で平塚に住んでいた文学者はいるが、火坂さんと弦斎は好んで住んでいましたし、ベストセラー作家という点で共通している。火坂さんのほとんどの作品が、平塚で生まれた。これからも地元の文化的な誇りになる」と偲んでいた。
![]() 火坂さんの墓前に手を合わせる参列者
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