明治・大正期に南原で写真乾板の国産化を追い求め、旧千円紙幣に使われた夏目漱石の肖像を撮影したことでも知られる小川一真(おがわかずまさ)(1860-1929)の功績を紹介しようと、「湘南の美術を学ぶ会」(天野由美子代表)が2月17日と18日、南原公民館まつりの中で資料展を開催する。地元に埋もれている資料や情報の提供を地域住民に呼びかけたいとしている。
現在の埼玉県行田市で生まれた一真は1882年に渡米し、ボストンの写真館で働きながら当時の最先端技術を学んだ。帰国後に都内で写真館を開業、日清・日露戦争や明治天皇の大喪の礼を撮影するなど写真家としても活躍した。
当時の撮影機材や写真感光材料が外国製だったことに不満を持っていた一真は1907年、感光剤である写真乾板の国産化をめざす日本乾板株式会社を同業者と設立、旧大野村の南原に工場を構えた。
南原に工場構え写真乾板を生産市民団体公民館まつりで展示
日本乾板は、花水川に面した約1万5千坪の土地(現在のヨークマート南原店付近)に生産拠点を置いた。当時は良質な国産ガラス板が希少だったため、使用済みの乾板を洗浄し、その上に感光剤を塗布する製法を研究、試行錯誤を重ねて製品化した。
経営不振となった同社が解散した後も、一真は南原で研究所を開設し、国産化の夢を追い続けた。その後に工場はオリエンタル写真工業に譲渡され、一真は1929年に市内の自宅で生涯を閉じた。
同会は、市博物館に所蔵されている十数枚の乾板をはじめ、オリエンタル写真工業の社史、生誕の地である行田市博物館の資料などを紐解きながら、一真の足跡を追ってきた。
公民館まつりの展示では、市内にいた頃に撮影したと思われる芸者の写真プリントや、工場のあった場所を特定する地図、歴史年表などを模造紙2枚にまとめ、掲出する。
同会の河内紀さんは「平塚時代の一真の足跡は少し地味であまり記録が残されていないが、日本の写真技術の礎を築いた地として記録されるべき」と語る。
同会は「一真や写真工場のこと、小川家と付き合いのあった人、昔の写真など公民館に知らせて欲しい」とし、展示を通じて地域に埋もれた資料がないか協力を呼びかけるつもりだ。
今後も一真と平塚との縁を掘り起しつつ、後世に伝え継ぐための記念プレートなどの設置も目指す。
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