明治期の金目村に生まれた自由民権家で、米国日本人娼家排斥運動を主導した猪俣弥八(1868〜1902年)。地元から遠く離れた渡航先で早逝してから、長らく埋もれていた弥八の功績がこのほど、子孫の猪俣立子さん宅に残された資料から明らかになった。NPO法人「雨岳文庫を活用する会」の岩崎稔さん(75)が協力した。
弥八は21歳で西洋の思想を学ぶため単身渡米、人種差別の色濃かった現地で、日本人外交官と在米邦人の就労支援に取り組んだ。現地では日本人娼家排斥運動の旗手としても知られ、死後には追悼誌が作られた。
岩崎さんは1年ほど前、金目村の自由民権家・宮田寅治が眠るクリスチャン墓地(南金目)を調査していたところ、弥八の死後に家族が建てた墓碑の存在に気付いた。偶然墓参りに訪れた親族と出会い、謎めいた弥八の生涯に興味を持ったという。
弥八の兄・国治を曾祖父に持つ猪俣立子さん(66)は、「父が弥八さんに関する資料を大切に保管していた。追悼誌が出てきたけれど、英語や昔の言葉で書かれていて解読が難しく、よく分からないままだった」と話す。追悼誌のほか、蔵から出てきた手紙などの現代語訳を岩㟢さんが買って出ると、弥八の人物像が明らかになった。
岩崎さんは「志半ばで倒れた弥八の思いが伝わってきた。皆に知ってほしい」と調査を続ける。
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