改元特別号に合わせ、本紙では平成元年生まれのご当地力士で、高砂部屋に所属する朝弁慶大吉さん(30)=本名・酒井泰伸=を取材した。角界に身を置き12年、朝弁慶さんは度重なるケガに悩まされながらも、不屈の思いで現役生活を貫いてきた。「令和時代に相撲人生の集大成を迎えます。必ず十両に返り咲きます」と稽古に励んでいる。
朝弁慶さんは平成の改元からおよそ1カ月後の2月12日、平塚市山下に生を受けた。山下小、山城中で学び、五領ヶ台高では柔道部に所属した。190cmに迫る屈強な体格が買われ、高校卒業後の2007年に高砂部屋へ。「トントン拍子で話が進んで気付いたら入門していました」と笑顔で当時を振り返る。
同年3月には、朝酒井の四股名で初土俵を踏んだ。09年の5月場所からは現在の朝弁慶に改名、「湘南の重戦車」と表現される押し相撲で快進撃を続け15年、十両に昇進した。十両以上を指す「関取」の誕生は当時県内では22年ぶり、平塚からは江戸時代の関脇・江戸ヶ崎源弥以来、およそ200年ぶりの快挙だった。
しかし、十両昇進を決めた15年9月場所の初日に足の指を裂傷。細菌が股関節まで達してしまい、顔がゆがむような激痛を隠しながらこの場所を務め上げた。千秋楽が終わると即入院、人生で初めて右足首にメスを入れた。
術後はろくに稽古も積めず、ウエートトレーニングが中心となった。湘南の重戦車は影をひそめ、十両として臨んだ6場所中、4場所で負け越す結果に。16年には幕下へ陥落した。
関取を名乗ることができる十両力士には個室が与えられ、2カ月に一度だった給料も毎月、しかも100万円近い大金が舞い込む。さらに、付け人もいる。「相撲の世界は番付社会。幕下とは天と地の差があります」
十両復帰への焦りが日増しに募るなか、昨年5月には半月板の損傷で再び入院、手術。キャリアで経験のなかった2場所連続の休場を余儀なくされた。追い打ちをかけるように、同年9月には突発性のストレス障害に見舞われ、3度目の入院。「めまいと吐き気がすごくて。『土俵に立って結果を出さないと十両に戻れない』という焦りに悩まされていたんです」
3度の手術経て「焦らない」
ウエートトレーニング中心のメニューは今も変わらないが、度重なる挫折を経て心境に変化が訪れた。「もう焦らない。ケガと上手に付き合っていこう」と前向きに開き直れるようになった。
元横綱稀勢の里が引退したのは32歳の時。30歳になった今、アスリートとして気になる年齢についても「世のサラリーマンの方にとって30代はまだ若手の範囲ですよね。ならば、自分も頑張らないと」と至って前向きだ。
そんな朝弁慶さんは、今年の初場所で三段目を全勝優勝。3月場所は1つ負け越したものの「コンディションは上々」だ。
令和元年を迎えた今月は、両国国技館で5月場所が控える。高砂部屋には後進も増え「弁慶さん」と親しまれる重戦車は、「若手にはまだまだ負けられない。おっさんと言われても押し相撲で前へ前へ出て行きますよ」と闘志を燃やしている。
なかなか地元に帰ることができないという朝弁慶さんは「たまに帰ると『白鵬だ』と勘違いされるんです。なので、平塚の皆さんにしっかり名前と顔を覚えてもらえるよう、必ず十両に返り咲きます」と誓った。
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