看板下に「ダイクマ平塚店」の文字が―。ヤマダ電機テックランド上平塚店の黒部丘への移店に伴い、外装を撤去した跡に現れた懐かしい名前=写真。通称「ダイクマ通り」の由来となり、市民に親しまれた同店について、ゆかりの深い2人は思いがけない店名との再会を喜ぶ。
子どもたちの聖地
神奈川県を中心にディスカウントストアを展開していたダイクマ。「ダイナミック ダイクマ〜」という耳に残るCMソングを今も口ずさめる人は多いだろう。平塚市内では1975年に南平塚店が開店。79年に同店が閉店し、統合する形で上平塚に平塚店がオープンした。
同店の斜向かいで73年から営業している不動産業「(有)アスリート」の代表取締役・高橋和也さん(56)は、「もともと周辺は畑ばかり。それが小学校低学年の頃にスカイラークができて、ダイクマができた。何でも売っていて驚いた。80年代は空前のガンダムブームで、毎週日曜は行列ができ、子どもたちの聖地のようになっていた」と目を細める。
開店当初からダイクマ敷地内でその隆盛を見守ったスナックフード店「ポパイ上平塚店」は、今年10月のヤマダ電機移店に伴い、店を大磯に移すことになった。2代目の國分信祥さん(52)は、「父を手伝ってソフトクリームのコーンに紙を重ねていたのをよく覚えている。あの時のお客さんが今は子どもを連れて来てくれていた」と懐かしむ。
まちづくりの中心に
そんなダイクマも昭和の時代をピークに経営規模を縮小していく。2002年にヤマダ電機の傘下に入り、隣接していた駐車場も閉鎖した。だが、20年以上たった今も「ダイクマ通り」の呼称は親しまれている。
「26万人を擁する平塚だが駅は一つ。商店街と争うのではなく、駅から離れた場所に一つの通り、一つの商圏が出来上がったのは土地柄ならでは」と高橋さん。「ダイクマのおかげだったと思う」と話し、今も市民の中に息づく「ダイクマ通り」の由縁が垣間見えた。
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