「中勘助を知る会」の会長に就任した 尾島 政雄さん 藤沢市在住 81歳
勘助の心 読みほどく
○…『銀の匙』でベストセラー作家となり、大正末期から昭和初期に平塚海岸で暮らした中勘助を、市民に広めようと活動する。先月発足した会の記念講演会では、60人近い参加者を前に熱弁をふるった。今後は、勘助が平塚での生活を淡々と綴った『しずかな流』の精読や文学散歩などを企画し、平塚ゆかりの作家に光を当てる。
〇…平塚生まれ。早稲田大学卒業後に中央公論の編集者となり、川端康成や井上靖ら名だたる文士と親交を持った。なかでも、7歳上の三島由紀夫とのエピソードは数多い。「ある時、三島さんが剣道をやりたいと言い出した。皇居前にある旧第一生命ビルの剣道場で、毎週のようにチャンバラをしたのは良い思い出です。彼は冬なのにコートも羽織らず、銀座四丁目まで竹刀を持って歩くんですよ。格好良かったなあ、背は小さいくせにね」と述懐する。当時三島が著した『音楽』は、取材に同行するなど執筆過程を見守った思い出深い一冊だ。
〇…編集者として多くの作家と接し、学んだことがある。「一行一行がつくりだすニュアンスをかぎ取らないと、本当に文章を読んだことにはならない。そのためには、作家の人生を知ることが大切なんです。すなわち文学とは、人の生き方を学ぶものではないでしょうか」。『しづかな流』は、一読しただけでは退屈な日記として価値を見落としかねないという。しかし、勘助の家庭環境や死をも覚悟した人生を顧みることこそ、作品の本質を知る手掛かりになると説く。
〇…定年を待たずに文筆家に転身し、平塚や藤沢、鎌倉などで30年以上文学講座を開いている。「この歳だし、もう車の運転はやめました」と、高校時代にサッカーで鍛えた健脚で文豪の足跡を辿るのも楽しみのひとつ。潮騒が耳をなで、吹き抜ける海風が松林を躍らせる平塚海岸を、勘助に思いを馳せながら歩く日を心待ちにしている。
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