1951年から毎年開催されてきた「湘南ひらつか七夕まつり」の中止が2日、決まった。これまで幾多の危機を乗り越えながら続いてきたが、新型コロナウイルスの感染拡大を前に、主催者は苦渋の決断を迫られた。
第70回湘南ひらつか七夕まつりは、7月3日〜5日の開催を予定し、150万人の人出を見込んでいた。だが来場者の健康を最優先し、史上初の中止に追い込まれた。
市や商工会議所、市商店街連合会などで組織される実行委員会は2日に市役所で会見。「日本三大七夕祭り」に数えられるイベントの中止とあって、多くの報道陣が駆け付けた。
第70回の節目は来年に持ち越し
会見に出席した福澤正人実行委員長は中止の理由として「来場者が不特定多数で飲食を伴うイベントであること」「七夕飾りの下で多くの人が密集すること」を挙げた。
実行委によると「第70回―」の名称は来年に引き継ぐ。中断していた七夕織り姫のセレクションは中止とし、市の行事や警察との交通安全啓発など毎年織り姫が協力している活動については、7月2日までを任期とする現役の織り姫3人に協力を仰ぐという。
福澤委員長は8月に予定されている第70回湘南ひらつか花火大会(主催/平塚市)にも言及し、開催可否について6月初旬の判断を示唆。七夕まつりの中止で第17回湘南よさこい祭り(6月7日)も含めて開催は厳しい状況となった。
中止の決定について落合克宏市長は「70回目の節目を盛大にと考えていたので大変残念だが、今は感染拡大の収束へしっかり取り組みたい」とコメント。商議所の常盤卓嗣会頭は「アーケードに七夕飾りを付けるなど、『七夕のまち平塚』を楽しめる雰囲気づくりなども考えたい」と語った。
72・73年は8月に開催
市商業観光課などによると、七夕まつりは1950年7月の「復興まつり」が前身。平塚空襲を経験した市民の願いを込めて始まり、翌年「七夕まつり」に改称された。
72・73年には商店街と露天商とのトラブルなどで開催が危ぶまれるも、時期を8月に遅らせて実施。東日本大震災が発生した2011年には市がいったんは中止を表明するも、期間をそれまでの5日間から3日間に短縮、規模も縮小するなどして開催にこぎつけた。
近年は高齢化や人口減による担い手不足、厳しい経済状況などを背景に七夕飾りの掲出減少といった課題を抱える。それでも実行委や地元商店主、事業主、市民ボランティアが「ワンチーム」となって存続させてきた。
七夕まつりの中止を受け、市民からは落胆の声が上がっている。
市民から惜しむ声「残念、でも」複雑な胸中
市民に落胆をもって受け止められた、七夕まつりの中止。まつりにゆかりのある人たちは複雑な胸の内をのぞかせる。
来年に向け今は我慢を
元七夕織り姫で平塚出身の女子プロレスラーである松本浩代さん(33)は、毎年会場で「七夕プロレス」を開催、市民を熱狂させてきた。「一言でやはり悔しいし、寂しい。悩ましい日々が続きますが、来年にむけて今は我慢ですね」
七夕まつりの再開を心待ちにしている松本さんは「来年は2倍どころか、5倍、10倍盛り上がる最高の七夕まつりになるに違いありません。私もまた大暴れしますよ」と七夕プロレスの開催を約束した。
命ある限り作りたい
宮の前の洋裁店「オートクチュール・ルナ」を営む三留千恵さん(90)は、七夕織り姫の衣装を40年にわたって無償で手作りしてきた。昨年は「花」をテーマにピンク、一昨年は太平洋の海をイメージしてグリーンを基調に手がけた。市制60周年の年は「還暦の赤」を採用するなど、柔軟な発想で温もりある衣装にあこがれて織り姫を目指す人も少なくない。
中止の一報に「残念な思い。コロナがあるうちは心も落ち着かないね」とポツリ。90歳を迎えてもなお、店に立っている三留さんは「命ある限り作りたい。来年は必ず織り姫衣装をね」と笑顔で語った。
70周年の七夕飾り必ず
JR東日本の広告代理業「有限会社大宣」(袖ヶ浜)の代表を務める大森雄二さん(64)は毎年、企業の依頼を受け七夕飾りを製作してきた。今年も2月から20基ほどを手がけていた。
これから市民飾りの手伝いも始まるという時に中止となり「市民のまつりを繋いでいきたい思いでやってきたので残念の一言」と大森さん。製作途中の飾りは大切に保管し「来年は70周年の飾りを必ず平塚の空に掲げたい」と前を向いた。
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