『句集 農夫なる限り』を上梓した 石黒 雅風(本名 弘)さん 中井町久所在住 82歳
心ありのままに故郷詠む
○…農夫なる限りお飾り手作り 畦塗のゐるそこのみに影のあり 風連れて雲の影行く刈田かな 中井町の風景や四季の自然、農耕に生きる人々の姿などを五七五に詠み続けている。50代半ばの時の『浮塵子(うんか)』に続く2冊目の句集『農夫なる限り』を出した。2015年までの29年間の作品から558句を収めた。「農作業が機械化され、農家も減った。町の中からやがて消えてしまうかもしれない自然や風物、暮らしを俳句に残しておきたい」と語る。
○…開業医だった父が大磯の俳諧道場鴫立庵に通い、自宅で句会を開いていたこともあり、子どもの頃から俳句に親しみがあった。町内の俳人小林一眺・景峰父子に学び、10代後半で句作を始めた。高浜虚子の弟子で二宮町に住んだ齋藤香村、平塚の蓮光寺でホトトギス湘南句会を指導していた上村占魚さんに師事。漆工芸家でもあり、「徹底写生 創意工夫」を主義とする占魚師から「人真似をするな。雅風が見て感じた句を作れ」と教えを受けた。「画家がデッサンするように、対象を見極める修練を積むことではっと感動する、光が見える瞬間がある」
○…中井町出身。幼くして母を亡くした。山を越え往診する父の自転車を押して歩いたこと、赤痢や栄養失調などで倒れた人々のために昼夜なく働いていた父の思い出がよみがえるという。「『医は仁術』の考えで、困っている人からお金を取りませんでした」。その父が終戦翌月に急逝。一家は困窮し、生活を支えるため、地元の郵便局に職を得た。
○…町文化財保護委員。里山風景が広がる、中井中央公園北側の町道関山線沿いに点在する句碑の建立や俳句大会の開催などにも尽力した。「萬緑の中や吾子の歯生え初むる」で有名な中村草田男の句碑は、遺族に直筆の色紙を借りて文字を刻むことができたそうだ。郵便局員時代から自宅裏に借りている畑を耕し、「俳句の鍛錬道場」とよぶ故郷に澄んだ心の眼差しを注ぐ。