明治150年記念連載 大磯歴史語り 第1回「伊藤博文【1】」文・武井久江
今年は、明治維新から150年という節目の年。大磯町は国・県・町をあげて盛り上がっています。何故なら、明治から昭和にかけて8人の総理大臣が別荘や本宅を構えていた地だからです。「北山南海」の風光明媚な気候に魅せられて、日本の近代を作った多くの方々が住まわれました。
当初は旅館に宿泊して書を書き、歌を歌い、そして我が国の基盤となった政治・経済を語り、鉄道が引かれてからはさらに多くの財界・政界・官界・著名人が大磯に集いました。その人たちの足跡がどれだけ多く残っているか、どれだけ姿を消してしまったのか。また一般に知られていない「大磯はじめて物語」もたくさんあります。それらが少しでも忘れられていかないうちに皆様にお伝えしていきたいと思います。
今後語ります皆様は、伊藤博文・大隈重信・加藤高明・西園寺公望・寺内正毅・原敬・山縣有朋・吉田茂です(敬称略)。この中には隣同士に住んでいた方もいらっしゃいます。今までの町歩きの経験から、なるべくわかりやすくお話をしていきたいと思います。
それではシリーズ第1弾「伊藤博文」を語っていきたいと思います。
大磯には「初代」の方が沢山いらっしゃいました。その筆頭が伊藤博文公です。伊藤公が住まわれた「滄浪閣」周辺の通りは今でも元勲通りと呼ばれています。伊藤博文は天保12年(1841)9月2日に現在の山口県光市束荷字野尻の農家、林十蔵の長男として生まれます。お父上はとても苦労された方ですが、安政元年(1854)、長州藩の伊藤直右衛門に認められ一家揃って養子となり伊藤姓を名乗り、萩での暮らしが始まります。同4年(1857)より吉田松陰の松下村塾に学び、倒幕運動に加わり活躍していきます。
|
|
|
|
|
|