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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第29回「原敬【4】」文・武井久江

公開:2019年9月13日

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和歌山県にある陸奥宗光の銅像原は自宅にも陸奥の銅像を飾っていた
和歌山県にある陸奥宗光の銅像原は自宅にも陸奥の銅像を飾っていた

 前回のお話で、原は国際情勢に通じた官僚へと成長していきますが、更なる人脈が付きます。結婚した妻の両親が離別し、初代の外務大臣を務めた井上馨と母が再婚・義父となります。

 明治18年(1885)李鴻章と交友、天津条約締結に尽力して伊藤博文に認められます。5月、外務書記官としてパリ公使官勤務を命ぜられ、勲六等に叙せられ旭日章を受けました。そして国際公法を学び、明治22年(1889)帰国して、農商務大臣の井上馨の引きで農商務省に転じ、井上農商務相のもとで、農商務省参事官となり、後、岩村道俊に次いで、陸奥宗光農商務相の秘書官になります。原が、生涯の師と仰いだ「カミソリ大臣」陸奥との出会いです。

 切れ者の陸奥は、原に厚い信任をおき、原も陸奥の期待に応えて働きました。この時に、陸奥(藩閥に属さない紀州藩出身)は原にこんな話をしました。「政府における薩長閥の勢力は、誰をもってしても外からは容易に倒すことはできない。ならば藩閥政府内に入ってその組織に食いこみ、彼らに利用されているように装いつつ、逆に操縦・駆使して、自分の主義・理想を実行しよう」。この考えに共鳴し、陸奥が亡くなるまで彼と行動を共にしました。

 明治25年(1892)から陸奥外相のもとで条約改正作業に従事し3年後には外務次官となります。だが、第2次伊藤内閣のあと、第2次松方正義内閣の外相に大隈が就任すると待命(命令待ち)となり、明治30年病いに伏していた陸奥が死去したあと、外務省を辞して官界を去りました。そして、ジャーナリズム世界に戻ります。この年、3年間の契約で大阪毎日新聞に入社し、翌年社長に就任、原が行った紙面改革(海外ニュース・芸能欄の充実)で部数を伸ばします。この官僚経験が豊かで、経営の才覚もある原に目を付けた政治家がいました。自らの政党立憲政友会設立の準備をしていた伊藤博文でした。(敬称略)
 

大磯歴史語り-画像2

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