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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第35回「吉田茂【2】」文・武井久江

公開:2019年12月13日

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耕余義塾の跡地
耕余義塾の跡地

 2人の父の事を話します。実父の竹内綱は山之内一豊を祖とする土佐二十四万石重臣・伊賀家の家臣・天保10年(1839)の生まれで、軽輩の家柄でしたが、若くして頭角を現し、領内特産のクスノキから樟脳の製造を思いついたり、地租改正を断行し伊賀家の財政再建に貢献しました。切腹直前の危機もありましたが、綱は維新後大蔵省に出仕し、すぐ官界から実業界に転身。後藤象二郎の要請で九州・長崎の高島炭鉱を任されます。その頃、同郷の板垣退助が唱えた自由民権運動を通して茂の養父となる吉田健三と知り合います。

 健三は、嘉永2年(1849)の生まれで、福井藩士・渡辺謙七の長男として生まれ吉田家を継ぎ、16歳の時に医者を志して大阪に出ます。やがて長崎に移り、慶応2年(1866)に英国に渡ります。もちろん密航です。健三が帰国したのは明治元年、彼が日本を離れているうちに時代は大きく変わりました。「洋行帰り」の健三にとって、働き場所はいくらでもありました。彼が選んだのは、英国の貿易商社・ジャーディン・マジソン商会横浜支店。猛烈な仕事ぶりで、その評価は3年後に退職する時に1万円(現在の価値で、数千万円)の特別賞与が贈られ、それを元手に実業界に進出、貿易・地域開発と事業家としての地位を確立していきました。

 事業は順調でしたが、健三は子宝に恵まれなかった。対照的に、綱は子だくさん。自由民権運動の同志として結ばれた、2人の父に守られ、茂は4歳で横浜の本宅に近い太田小学校に入学、11歳を迎えた明治22年(1889)に健三の勧めで神奈川県・藤沢にある耕余塾(のち耕余義塾)という寄宿制の私塾に進学します。ところが、寄宿生活に慣れる間もなく悲劇が起こります。健三が病に倒れ、40年の短い生涯を閉じました。健三は、土地・資産を合わせて50万円(現在の貨幣価値で数十億)という莫大な財産を残します。この遺産が後に茂の「気まま」な外交官生活・政治家生活を支えることになります。

(敬称略)
 

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