明治・大正・昭和に活躍したジャーナリスト徳富蘇峰(1863〜1957)が時の内閣総理大臣の東条英機(1884〜1948)に寄贈した「謙堂」の雅号印など三つのはんこの印影を、徳富蘇峰記念館=二宮町=で公開している。東条に宛てた手紙も同時に展示。「軍人宰相」のイメージとは異なる東条の一面や戦局が悪化した時代背景が、資料から見える。
東条の印章(はんこ)の印影は、書や絵画などに落款印として押す関防印と姓名印、雅号印の三顆(さんか)組の印を押したもの。富士山の絵柄が入った、蘇峰のオリジナル用箋に朱肉の色も鮮やかに残されている。
好きな語句やめでたい言葉を用いる関防印の印文は「天空海闊」。「気持ちがさっぱりとして、前が開けていること」を意味するという。白い印文で表される姓名印は「臣英機印」、朱文の雅号印は「謙堂」とある。
印章の目録控えによると、蘇峰は昭和19年(1944)5月にそれらのはんこを東条へ寄贈した。サイパン島陥落を受けて東条内閣が総辞職する2カ月前のこと。篆刻家の高畑翠石に法隆寺の古材を使って彫らせた。「蘇峰はお気に入りの篆刻家の中から、神経質な東条に合う緻密な線を彫ることができると考えて高畑に制作を依頼したのでしょう」と同館学芸員の宮崎松代さんは話す。
言論界長老が激励
大日本言論報国会会長を務めていた蘇峰は首相声明文の添削などに携わり、東条の後ろ盾でもあった。印章を贈る約1年前の昭和18年(1943)4月、東条のために18もの雅号を提案する手紙を送付。「寛堂」「平泉」「如雲」「亜洲」などの案から東条が選んだのは「謙堂」だった。
蘇峰は中国の古典『書経』の「慢(心)は損を招き、謙は益を受く」を引用して「首相極位故に退一歩・謙堂」と、最高権力者の雅号の選択に喜んだといわれる。「『英機』という名が力強いので、雅号はなるべく滋味、穏妥の方がよい」と手紙で助言していた。
「戦況が不利となり、東条を励ましたいという一心で蘇峰は印章を贈ったのではないか。実物は残されていないが、歴史の一事象から戦後75年の時の流れを感じてもらえれば」と別の学芸員の塩崎信彦さんは語る。
印影は、開催中の「徳富蘇峰愛用の印章コレクション」展の追加展示として9月15日から初公開。12月25日(金)まで。
午前10時から午後4時まで。月曜日休館。入館料一般500円、高校・大学生400円。問い合わせは同館【電話】0463・71・0266。
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