神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

明治150年記念連載 大磯歴史語り 第4回「伊藤博文【4】」文・武井久江

公開:2018年6月22日

  • X
  • LINE
  • hatena
現在の滄浪閣跡地
現在の滄浪閣跡地

 明治29年(1896)11月に伊藤は滄浪閣を大磯に移し、翌30年10月1日付で本籍を東京の本邸から大磯町に移しました。その際には伊藤自ら大磯町役場に赴き、大磯のために協力を惜しまない旨を告げました。その言葉どおり、伊藤は地元住民と積極的に関わりを持ちました。激務の合間を見つけては頻繁に散歩に出かけ、商店に立ち寄り、農作業中の農民に「そんなに朝早くから働かないと暮らしは楽にはならないのか」など声を掛け、夜半には地曳網を引く漁民に気軽に声を掛けて労をねぎらいました。大磯滄浪閣を舞台として数多くの逸話が残っています。

 大磯に居を構えたころ、伊藤は二期目の首相を終え静養を望んでいましたが、政局は中々それを許してはくれませんでした。この滄浪閣だけでなく、明治36年に西小磯古屋敷の地に純和風の「山の別荘」を建て、ここでは日露戦争の御前会議のための下会議が行われたと伝えられています。この別荘内に有った茶室「清琴亭」は西小磯の青年団に払い下げられその一部が青年会館に移築されています。伊藤は大磯の発展に様々な形で貢献しました。例えば、明治34年(1901)大磯小学校新築のための寄付名簿の筆頭に名を連ねたり、また明治37年から毎年大磯小学校の新入生に10銭入りの郵便貯金通帳をプレゼントしています。大磯町にとって伊藤の存在は絶大でした。伊藤を知る古老は「大磯はテエショウで栄えた。テエショウこそ大磯のお天道様だった」。私は、彼の足跡を訪ねて山口県や長崎県、小田原、東京の伊藤町、国会議事堂に出向き、そこで気が付きました。訪ねたどの地にも伊藤の銅像・胸像が有りました。でも、本宅を構え、終の棲家になった大磯には像が無い(白岩神社に、50cmほどの胸像は有りますが、年に1回だけの公開です)。凄く寂しいことに気が付きました。この事は何回か討議されては立ち消えてきました。明治150年のこの年に、滄浪閣のあの場所で除幕式が見られたらどんなにうれしいか。あくまでも一個人の思いです。お許しください。では、次回。(敬称略)
 

大磯・二宮・中井版のコラム最新6

内容は満点、勝ち点は0点

ベルマガ通信 6月22日ホーム湘南0-1FC東京

内容は満点、勝ち点は0点

J1第19節vs FC東京

6月28日

いただけない試合運びで自滅

ベルマガ通信 5月25日アウェー湘南2-3磐田

いただけない試合運びで自滅

クラブの考える徹底すべき”凡事”とは?

5月31日

ベルマガ10号、新発売です!

ベルマガ通信 5月15日アウェー湘南1-2柏5月19日ホーム湘南2-1新潟

ベルマガ10号、新発売です!

J1第14節vs柏戦、第15節vs新潟戦

5月24日

引き分けたコンセプトの戦い

ベルマガ通信 5月11日ホーム湘南0-0町田

引き分けたコンセプトの戦い

J1第13節vsFC町田ゼルビア戦

5月17日

ホーム初勝利、ここからだ!

ベルマガ通信

ホーム初勝利、ここからだ!

J1第11節vs鹿島戦、第12節vs鳥栖戦

5月10日

乱打戦は制してこそ

ベルマガ通信 3月17日ホーム湘南4-4浦和

乱打戦は制してこそ

J1第4節vs浦和レッズ

3月22日

あっとほーむデスク

  • 6月28日0:00更新

  • 6月21日0:00更新

  • 6月14日0:00更新

大磯・二宮・中井版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年6月28日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook