相模原市出身のレーシングドライバー・角田(つのだ)裕毅(ゆうき)選手(20)がアルファタウリ・ホンダから、自動車レースの最高峰「F1」に参戦した。日本人F1ドライバーの誕生は7年ぶりで、20歳での昇格は国内最年少。3月26日のバーレーン・グランプリから開幕した2021年シーズンを「最高の結果を出したい」と高みをめざす角田選手の競技人生は、中井町のサーキットから始まった。
フォーミュラ・ワン世界選手権 (F1)は、国際自動車連盟が主催する自動車レース。世界から10チームが参加し、各2人のドライバーが年間に23戦する。角田選手は昨年12月に、21年シーズンからのF1参戦が正式に決定。日本人F1ドライバーは小林可夢偉選手以来、7年ぶり。さらに、F1レギュラードライバーとしては初の2000年代生まれとなった。
4歳でデビュー
角田選手が初めてハンドルを握ったのは、4歳の頃。家族で訪れた中井インターサーキット(中井町境)で、キッズカートに乗ったことから始まる。偶然サーキット場の前を通りかかり、「4歳から搭乗可能」の文字を見た父・信彰さんが、体験の一環として試乗させたのがきっかけだった。
モータースポーツの一種であるジムカーナに精通する信彰さんのサポートもあり、角田選手の腕はめきめきと上達。初めて臨んだ大会で2位を獲得するなど才能の片鱗を見せ、幼少期から数々の大会で好成績を挙げた。同時代に中井で子どもをカートに乗せていた花渕寿一さん(52)は「初めて会った頃はまだ身体も小さくて、おっとりとした感じの子だったが、コースに出ると物おじせずに年上の子をズバズバとコーナーの飛び込みで抜いていた。あるレースで優勝を逃してピットに戻ってきた際に大泣きしているのを見て、負けん気の強い子だなと思ったが、今思えば生まれながらにレーサーとして重要な気質が備わっていたのだろう」と振り返る。
16歳で、多くのプロレーサーを輩出する鈴鹿サーキットレーシングスクールに入門。翌年にHondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクトの一員に抜擢されると、17年のFIA─F4日本選手権に参戦し、翌年にはチャンピオンに。19年にFIA─F3選手権に挑み、シリーズ9位に食い込んだ。F3を1年で卒業し、翌年にはF1直下カテゴリのFIA─F2選手権に挑戦。シーズンを通じポールポジション4回、優勝3回を記録して昇格圏内の総合3位となった。シーズン終了後の表彰式ではF2の最優秀新人賞の「アントワーヌ・ユベール・アワード」と同時に「FIAルーキー・オブ・ザ・イヤー」を日本人で初めて受賞している。
中井からエール
21年シーズンは12月末まで行われ、各レースの順位により付与される獲得ポイントの累計で総合順位を争う。デビュー戦となったバーレーンGPで、角田選手は9位でフィニッシュしてポイントを獲得。今後の活躍に期待が高まっている。10月8日に行われる日本GPでは鈴鹿サーキットに凱旋。角田選手は本紙の取材に「鈴鹿は特別な場。そこで戦えるのはうれしい。最大のパフォーマンスを見せたい」と闘志あふれるコメントを寄せた。花渕さんは「昔一緒に走った友達も、いま中井インターサーキットでレースをしている後輩たちも、角田君の挑戦を身内のことのように応援している。彼なら史上初めての日本人F1チャンピオンになれると思う」とエールを送る。
F1グランプリ2021の2戦目は、4月16日(金)のエミリア・ロマーニャGP(イタリア)。角田選手の挑戦は続く。
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