大磯歴史語り〈財閥編〉 第38回「安田善次郎【6】」文・武井久江
前回で紹介した3つの誓いは善次郎伝説としても良く知られています。現代の人もこれを遂行すると、億万長者になれるようです。毎月末に決算し、いかにやむを得ない臨時の支出を要する場合でも、まず純利益の中から2割を差し引いた残りでなければ決して使わないように心掛けました。収入の10分の8での生活を善次郎は生涯続けました。結果、彼は一代で国家予算の8分の1を稼ぎ出したわけですから、皆様も実践の価値ありです。私も少々まねています。(笑) ただ、当時の江戸っ子からすれば「宵越しの金はもたねえー」を美学としていた人たちからしたら、鼻持ちならなかったでしょう。彼は自分の人生を振り返ったとき、「私には何ら人にすぐれた学問もない。才知もない。ただ克己堅忍の意志力を修養した一点においては、決して人に負けないと信じている。今日に至るまでの60余年の奮闘はこの一言に繋がる」と語っています。克己堅忍の意味は、根性系精神論の代表ですが、そんな現代人の失ってしまった『意志の力』が安田善次郎の中には満ち溢れていました。
そして当時の商人にとって、伴侶の役割は大きいものがありました。元治元年(1864年)11月に結婚しました。善次郎26歳・房子は20歳でした。ご自分に厳しい善次郎ですから、奥様にも期待が大きかったのでしょう、すぐに離縁します。実は奥様は、結婚する前に奉公していたのが松平下野守の江戸屋敷でしたので、ぜいたくしているおつもりはないのでしょうが、例えば鼻紙にも高級紙を使ったりと、善次郎はそんなことが気になり離縁をしたものの、彼女自身が気が付いてくれたらという思いもありました。そんな思いが伝わったのでしょう、復縁したいと彼女からの申し立てを受け入れました。そこからは、本当によく働きました。善次郎も朝早く起きて仕事にかかりますが、房子はさらに早く起きて働く、夫唱婦随の働きからご商売は順調に伸びていきました。当時は稼いだお金を預ける場所がありませんでしたので、全て家の中にありました。善次郎が留守の時に強盗が押し入った際、房子は身重でしたが、汗水流してためたお金を何とか守ろうと強盗の前に立ちはだかりましたが、相手は刀を持っていて振り回したところ、房子の指にあたり一生傷が残ってしまい、善次郎は「命を落としたらどうする」と叱ったものの心の中で手を合わせました。彼らは強盗に入られてから、さらに商売に身を入れて働いたと。なんという夫婦でしょうか。では次回。(敬称略)
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