今年1月から放送がスタートしたNHK大河ドラマ『どうする家康』。多くの大名が覇を競った戦国時代を終わらせ、260年にわたる平和な時代の礎を作った徳川家康の生涯を俳優の松本潤さんが好演している。かつて東海道の宿場町として栄えた大磯にも、家康とのゆかりが各地に残されている。その一部をピックアップして紹介する。
鷹狩を好んだ家康が、中原御殿(現在の平塚市中原)で鷹狩を行った際、家康の愛鷹が逃げたことがあった。その鷹が捕らえられた場所が、大磯町生沢の鷹取山(標高219m)という。山頂にある鷹取神社の御由緒書きによれば、この山は栗原山などの名前で呼ばれ、神社も直下社(なほもとやしろ)と創建時からの名称があったが、この出来事をきっかけに改称した。現在、同神社の祭礼を担う六所神社=同町国府本郷=の柳田直継宮司は「この後、家康から社領2石の朱印が発給されている。名称が定まっていない山と、神主もおらず廃社同然だった神社をこの出来事にあやかり改名したという、地元民から家康へのおべっかのようなものだったのでは」と推測する。
またその六所神社は、小田原北条氏との関わりが深かったため小田原合戦の後に社領を減らされたが、一方で相模国府祭の際に帯刀や12万5000石の格式の行列を組むことが許されたという。
葵の社紋の謎
大磯町高麗の高来神社にも、家康との関わりが残る。神社の提灯や御朱印などに使われている社紋が、徳川家と同じ「三つ葉葵」なのだ。
渡辺幸臣宮司によれば、神社の前身である高麗寺は長く神仏習合の聖地として信仰され、家康から寺領100石と山林を安堵された。家康の没後には上野寛永寺の末寺となって東照権現(家康)を祭り、家康の命日をはじめ歴代将軍の法要を行っていたという。大磯町郷土資料館は「参勤交代で高麗寺の前を通過する大名は、駕籠から降りて一礼していたと伝えられている」と話す。明治の神仏分離令で同寺が廃された後も、神社の社紋として三つ葉葵の紋が使用され続けている。
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