大磯町の名誉町民の澤田美喜(1901〜80年)が創設した児童養護施設「エリザベス・サンダース・ホーム」と「学校法人聖ステパノ学園」が今年、それぞれ創立75周年と70周年を迎えた。9月19日の美喜の誕生日には同校児童・生徒らが礼拝を行い、澤田美喜記念館の武井久江主任の講演を聞いたほか、22日には同学園創立70周年記念式典が開催され、約80人の関係者が美喜の功績を称えた。
澤田美喜は、三菱財閥初代当主の岩崎弥太郎の孫として生を受けた。11歳でキリスト教と出会い心惹かれたが、岩崎家は仏教徒だったため家族の理解はなかなか得られなかった。21歳で後に初代国連大使となる外交官の澤田廉三と結婚。決め手は、廉三がクリスチャンだったからだといわれている。
戦死した息子の洗礼名を校名に
第二次世界大戦後、進駐軍兵士と日本人女性との間に生まれ、混血孤児となった子どもたちの存在に心を痛めた美喜は母親代わりになろうと、1948年、岩崎家の大磯別荘だった場所に「エリザベス・サンダース・ホーム」を創設。同ホームで暮らしていた子どもたちが小学校に通う年齢に合わせて、53年に「聖ステパノ学園」を開校した。聖ステパノ学園の「ステパノ」は、キリスト教における最初の殉教者であり、戦争で命を落とした美喜の三男の洗礼名でもある。
22日の記念式典では、同学園のホールや校舎などの教育施設の整備に尽力した前理事長・学園長の小川正夫さんが講演。「敗戦が生んだ最大の社会問題を、美喜さんは一手に引き受け奔走した。今でこそ偉業ですが、当時は妨害の圧力もあった。時代が変わり世の中が変化しても、社会的に弱い立場、支えが必要な子どもたちに対して、愛を持って接し続けた澤田美喜さんの理念を忘れないで」と話した。
記念式典で森田利光理事長は「今日こうして70周年をお祝いすることができ、心から感謝」と節目を共に迎えた参列者たちに謝辞を述べた。
9月19日の礼拝で佐藤紀明校長は美喜の生涯について児童、生徒らに講話。「美喜さんはいつもハイヒールを履いていて、校内のトンネルを通るときのコツコツという足音を聞くと、授業中に居眠りしている子どもも『ママがきた!』と飛び起きたそうです」と話し、「よく怒られたという卒業生たちは、『本当の親じゃないとあそこまで怒ることはできない』と言っていました。美喜さんが天国でどんな思いでいるのか、ステパノの子どもとして頑張っていますと発信していきましょう」と呼び掛けた。
ポール・ラッシュとのゆかり現在もつづく
外交官の妻として、世界各国を飛び回り築いた社交界での人脈はその後も美喜を助けてくれることになる。
1948年に岩崎家の別荘だった土地で始まった「エリザベス・サンダース・ホーム」だが、戦後の財閥解体により、岩崎家出身の美喜が別荘を取得するのは困難を極めた。その際に政府に掛け合ってくれたのが清里高原(山梨県)に清泉寮を創設し青少年教育に力を入れ、戦後は酪農を取り入れて清里の開拓を牽引したポール・ラッシュだ。
「外交官夫人」としてアメリカにいたときから親交があり、同ホームの中庭で一緒にブランコに乗っている笑顔の写真もあるほど。交流のあかしでもあるゆかりの収蔵品も残っているという。
10月6日(金)〜28日(土)には澤田美喜記念館と清泉寮で同ホーム75周年と清泉寮85周年を記念した展示「戦後日本に希望を灯したふたり〜澤田美喜とポール・ラッシュ 響きあう心〜」を同時開催。同館2階の礼拝堂では、初日の6日に記念礼拝が行われる。午前9時45分から。
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