大正初期創業、日乃出旅館(栄町3の1の5)。かつてどこにでもあった日本の旅館が7月1日、リニューアルした。とはいえ、大将・杉崎完(たもつ)さんは「生まれた頃と何も変わってない」。
旅館が持つ雰囲気に価値を見出した仕掛け人・高村快人さんは、ほとんど手を加えず、畳の返しなど基本は補修に徹した。ただ、明らかに違うのは、この旅館に「海外の観光客に泊まってもらいたい」と高村さんが考える点だ。
全国で企業ブランディングなどを手掛ける高村さんが、3年前に泊まったのがことの発端。温泉も大広間もないが「眠らせておくのはもったいない」と大将にプロデュースを申し出たが、二つ返事とはいかなかった。2年半、互いの顔と人柄を見せ打ち解けていった。
全9部屋、宿泊できるのは多くて20人。だが、襖、階段、畳、照明など、日本の美しさが散りばめられている。日本人には当然かもしれないが現代では忘れつつある日本独特の情緒を、高村さんが招いた海外の友人は称賛した。「海外の人の方が日本の文化を欲している」という確信を得て、今後はHP(ホームページ)(http://www.ryokanhinode.com)などインターネットを駆使し、全世界の日本らしさを欲する人に向けてPRしていく。
これぞニッポンの宿
はじめは国鉄の宿舎だった旅館。関東大震災で2階が落ちた。その後再建し、1949年の小田原競輪場完成後は選手も宿泊し、盛況を極める。当時、切り盛りしていたのは大将の母・幸子さん。接客、掃除、欠かすことのなかった暦のイベントと、とにかく動いていた。しかし、会社勤めの大将が定年退職した1週間後に幸子さんが他界。それから大将が引き継いだ。
古き良き日本家屋を今に残すこの旅館には、映画界からも引手数多だが、大将はなるべく断ってきた。「創業してから1日だって休んだことがない。旅館ってのはそういうもん」。個室主義のホテルとは違い、壁、襖一つ隔てた向こうに人を感じ、建物同様、風通しのいいのがニッポンの宿。でも、客の手前、襖の締め方、足音など”察しと思いやり”は忘れない。
「母(の仕事ぶり)と比べると歯がゆいんだよなぁ」と漏らす相手は今の女将・寺田まり子さん。高村さんとともに再興し、物腰柔らかく人懐っこい笑顔で客を迎える。大将は2人を見て「まりちゃんも快人も素直でいいやつ。センスあるんだよ」と相好を崩した。
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