下府中小学校の校庭に佇む児童の姿をかたどったブロンズ像。その建立の背景には、校訓として受け継がれる心温まるエピソードがあった――。
1956年4月。現在地に移転する前の中里に校舎があった頃、下府中小に一人の身体障害児が入学してきた。「勝ちゃん」というその男児は、小児まひにより両足が不自由。自力歩行が困難で、いつも母親に背負われて登校していた。
「乳母車もないし、毎日毎日お母さんがおぶって大変そうだな」。児童会長だった横田八郎さん(75)=中里在住=は、その光景を目にするうちに「手伝うことはできないか」と考えるようになった。
いつも行動を共にしていた仲良しグループの4人に協力を呼びかけると、全員が快諾。自宅から学校まで約1Kmの道のりを、5人で代わる代わる背負って登校する日々が始まった。雨の日も休みはなし。背中が濡れないように一人が傘を差した。学年は離れていたが、親しく接してくれる上級生のお迎えを勝ちゃんも心待ちにするように。そんな温かな交流はたちまち地域の話題となり、新聞各社も一斉に報じた。
横田さんらが卒業した後も、優しさのバトンは自然と継承。身体の成長にあわせて3年次からは手押し車を利用するようになったが、登下校の付き添いは6年生の役割として代々受け継がれ、勝ちゃんの卒業の日までついに途切れることはなかった。
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「6年間通学できたのは、先生や友達の温かな思いやりのおかげです」。
卒業時には、勝ちゃんがおやつ代として貯めていたお金が感謝の気持ちとして寄付され、これを受けた学校は友愛の精神を生かそうと記念像の建立を検討。制作を八郎さんの父で彫刻家の故横田七郎さんに依頼した。64年に完成した「友愛像」は今も学校の象徴だ。
「友愛」は校訓にもなり、4月に着任したばかりの納(おさめ)今日子校長も前任からその成り立ちについて説明を受けた。「『他者や弱者を思いやる心』を身をもって教えてくれたすばらしい出来事」。年度初めには教職員を前に、今後も児童へ語り継いでいこうと伝えたという。
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