真鶴町で生まれ育ち、今年1月、京都の祇園で芸妓になった若者がいる。御守上葉(おんもりあげは)さん、20歳。「多都葉(たつは)」の名で数々のお座敷で舞い、多くの人を魅了している。
「どんな分野でもそうだけど、好きなことを仕事にできるのは最高ですね」。しゃんと伸びた背筋に、静かな口調。瞳の奥に熱意を宿し、自身の道を拓いてきた。
「好き」が継続の力に
真鶴中学校の吹奏楽部でクラリネットを担当し、合唱コンクールではピアノ伴奏者を務めた御守さん。「将来は音楽の道に進もうと思っていた」少女は、京都への修学旅行を前に、あるドキュメンタリー番組に目を奪われた。京都・祇園の舞妓を描いた作品で「自分と同じ位の年齢の子が、華やかな衣装で仕事をしていた。とても綺麗で、こういう世界があることに驚いた」。
この衝撃が情熱に火を付けた。「私も舞妓さんになりたい」との思いが芽生え、憧れは次第に覚悟に変わった。「高校に行かないことよりも、舞妓さんにならないことの方が後悔する」。進学を薦める周囲の声もあったが、決意は固かった。
卒業後、15歳で京都に移り、住み込みでの修業の日々が始まった。京舞井上流五世家元で人間国宝の井上八千代さんに師事し、同期たちと切磋琢磨しながら、日本舞踊や礼儀作法、所作などを夢中で身に付けた。
修業中は芸事を習うだけではない。手洗い場の掃除や先輩の荷物持ち、舞台の裏方など「寝る間もないほど働くときもあった」。1年続く厳しい修業の毎日。挫折する者が次々と増え、諦めずに舞妓になれたのは同期12人のうち御守さんを含めて5人だった。「悩んだこともあったけれど、舞台に立つのが好きだから続けてこられた」
喜びと責任を胸に
16歳で舞妓としてデビューした日の喜びは、いまも鮮明に覚えている。10kg以上ある衣装を初めて身にまとい「重たい。でも着られることがうれしかった。初舞台は緊張したけれど、仲間と一緒だったから心強かった」と振り返る。
あれから4年。数々の経験を積み、実力の高さを認められた御守さんは今年、同期の中で一番最初に芸妓になった。「衣装も変わり、責任も重くなる。不安もあるけれど、今度は私がお座敷で舞妓さんたちを引っ張っていかなきゃ」。熱意を新たに、芸の道を進む。
来年夏には芸妓として本格的に独立する。「舞妓になるのはゴールじゃなくて、なってからがやっとスタート。普通に学校に通っていたら出会えない多くの人たちと出会えて、視野がとても広がった」と魅力を語る。
現在は政府の緊急事態宣言により1カ月ほど臨時休業。帰省し、母親が小田原市内で営む飲食店を手伝っている。「早く忙しかった頃に戻りたい。舞や三味線など、芸事を披露する場があるから目標ができる。祇園に戻ったら、また懸命に頑張りたい」
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