戦前や戦時中に学校で天皇と皇后の写真(御真影)や教育勅語の写しを収納していた「奉安庫」がこのほど、小田原市立新玉小学校(山田明子校長)で見つかった。
新玉小の奉安庫は皇室を示す桐の紋章が施され、校長室隣の応接室に設置されていた。少なくとも山田校長が教頭として同校に着任した2022年以降、使用したことはなかったという。7月下旬、東京都の小学校で奉安庫が発見された報道を見て「応接室の金庫に似ている」と、保管されていた鍵で扉を開けた。
いくつかの資料が納められていたこともあり、10月16日に市郷土文化館の学芸員と「戦時下の小田原地方を記録する会」の事務局長で元小学校長の井上弘さんが立ち合い、改めて調査。井上さんが戦時中の教育史を専門にする大学教授に確認し、奉安庫と判明した。
1941年に新玉国民学校(現新玉小)に入学した90代の男性は、建物型の「奉安殿」があり、「教室から奉安殿に向かい、立って敬礼した」などと証言している。「関東大震災でいくつかの学校で御真影が焼失し、校舎外に奉安殿を造ったのでは」と井上さんは語る。戦後、奉安殿はGHQの指令でほとんどが撤去された。
「当時を知る大事な資料」
井上さんは「本会の調べでは、小田原地方で旧奉安殿は湯河原の五所神社、奉安殿は小田原市風祭の箱根病院で確認できたが、奉安庫の実物を見たのは今回が初めて」と話す。
発見された奉安庫の重厚な扉の内側には菊の紋章、内扉に鳳凰があしらわれている。教育勅語と御真影は残っていなかったが、明治天皇が描かれた掛軸などが見つかった。
井上さんは「本来の役割を終えた後、大切なものを入れていたのでは」と推測する。また同文化館の学芸員は「当時を知る大事な資料」と述べる。山田校長は「昔の人たちの思いを地域で語り継ぐことができれば」と話し、6年生の社会科の授業で活用したいとしている。
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